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【私の音楽遍歴】⑭『若き才能たちに救われた2010年代前半』

2012年、娘が生まれた。
新生児がいる中、僕は朝7時にマット配送の仕事にでかけ、1日40か所くらいのレンタルマット配送を行い、ハイエースを一日30キロ以上運転し、足がガクガクなるほど駆けずり回って帰宅する、、、そんな生活に突入していた。
当然、ロクに満足のいくような練習などできず、それまでの音楽活動で培った貯金(ちっぽけな貯金だったが)を生かしながら、辛うじて音楽活動を継続していた。

以前にも書いたが、なぜか僕には優秀な若いジャズミュージシャンの才能をいち早く見抜いていち早く共演する才能があるようで、ここでは
2012年前後に出会った5名の凄い才能たちを紹介したいと思う。

①泉川貴広 piano (2007年 、20歳)
最初から豪快なスイングを持っていた、とてもクレバーで上昇志向の努力家で、
今やNYのJAZZHIPHOPシーンで大活躍してる希少な日本人ピアニスト。
彼からはなぜか知らないが『世界の陽象さん』という渾名をもらったw
彼がNYにわたった初期に、レコーディングのために渡米される大森明さんのレコーディングのリハトラのオファーを日本からしたこともある。アメリカで2枚もレコードを出しているようだ。

②井上銘 guitar(2009年、17歳)
今や超有名なジャズギタリストとなった銘くん、彼のステージデビューは南千住の喫茶店で私の企画のセッションライブだったかも?
妻は一目で彼が大物になるとわかったらしく、『オーラが違う!』といっていた。
生まれたばかりの娘にもあってくれたし、共演は2013年くらいまで続いた。19.20歳のときにすでに伝統的なジャズギターの美学が彼の中に深いルーツとして根付いていた。


③早川惟雅(ハヤカワユイガ)altosax (2010年、20歳)
日本の若手ジャスシーン(今の30歳前後の世代)にとっての伝説的存在
16歳くらいからサックスをはじめ、1日14時間の練習を経て、日本人離れした爆発的なサックスのスタイルと強烈なリズムフレージングで、ジャズシーンを席巻した天才!
個人的にはアルトのJohnny Griffinだという印象。気に入っているのが、このバラード、聴き始めたら最後まで引き込まれてしまう求心力が半端ない!!

ジャズで一番大切なことはリズムの求心力だということを若くして体現していた。その後NYに10年ほどいて、昨年一時帰国していたが、また戻ったよう。いまはサックス奏者がメインの活動はしていないらしいが、いつの日か再会したい。

④中島朱葉altosax(2010年、17歳)
彼女も2010年からずっと共演してきた。最後の共演は2019年。
和歌山の田舎の普通の女子高生が、チャーリーパーカーに憧れ、ひたすらにブロウし、スイングする姿は子育てで環境が激変してキツかったあの頃の僕にとって、大きな励みとモチベーションになった
彼女の初の東京ライブをプロデュースしたし、その後ずっと新宿のクラブにバンドで出演した。バークリー留学前には壮行会セッションも開催した。
渡米を経て高度なテクニックと音楽性を身に着け、今や日本を代表する凄腕アルトサックス奏者になった彼女の、20歳前後の、絞り出すように吹いていた粗削りなブロウと共演できたことはとても贅沢な思い出となっている。

⑤岩崎壮平 piano (2010年、26歳)
今や村田浩BOPBANDや大井貴司カルテットのレギュラーピアニストであり、非常に端正で美しい、シングルトーンのビバップのラインを弾く逸材。その地味さと不器用さ加減から注目度が低かった彼のピアノにいち早く魅せられ、2011年ごろから2016年まで定期的に共演してきた。
今でもたまに会うと、当時のことを感謝していると言ってくれるが、こちらこそ、本当にありがたかった。。
僕の愛する唯一無二のピアニストです。

このように、厳しい状況のなかでも、これほどの素晴らしい才能たちとで出会い、共演を継続できたことは、正直言って奇跡だと思っている。
だが、奇跡は長くは続かない。子育てをしながら、疲労で思うように練習できないもどかしさは、
またしても僕の心身を蝕みはじめ、2015年末、
『もう十分にやった、地元福岡にに帰って地道に活動しながら、実家の田畑土地を活かして生活を組み立てなおそう』と思い、家族と共に東京を去る決意をしたのだった。。

ところが、僕の天命はそれを許さなかったようだ、、、、次回はその話を書きたいと思います。

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