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私の音楽遍歴⑤上京、歌舞伎町の思い出

2003年春、大学を2年も留年するほど、
混沌とした精神状態の中で、ジャズにのめり込んでいた僕は、就職氷河期ですら引くて数多だったであろう、旧帝大 九州大学経済学部卒という学歴をかなぐり捨てて、
新聞奨学生の制度を利用して
(名目上はアンミュージックスクールの学生として)、東京、新宿の地に降り立った。

そして2003年新宿歌舞伎町で、新聞配達を始めた。。

せっかくなので、当時の歌舞伎町の様子を
記憶を頼りに書き残しておく、、

2003年の歌舞伎町は、まだ昭和の香りが色濃く残る街だった。ヤクザが仕切る、コマ劇場(大衆芸能)と、夜の繁華街。今よりももっと街全体から異臭がしていた。。
体液と塵の匂い、、

そんな中、深夜3時ごろから朝刊を配達していた。

毎晩同じ場所ですれ違う刺青の入ったホームレスのおっちゃんに'がんばれよ!'と飴玉をもらったり、
まだ活動していたキャバレーで、
お姉さんという名目の、おばあさん達が、着飾って、生バンドが、タルーいダンス音楽を演奏している現場。
のぞきストリップの店、
高級ソープランド、
毎晩のようにタムロしている
ガングロのギャルとギャル男たち、、、
明け方酔い潰れて、真っ青になって突っ伏しているホスト達、
伝説のホスト愛田武の店も健在だった。

ヤクザの事務所に集金にいって、
パンチパーマの金ネックレスのゴツい
オッさんに(ホントにいるんだ)
『オメーが払っとけ!』と叫ばれたりもした、
いきなり道の向こうから、胸をはだけ出して
迫ってくる発情した東南アジア系の姉ちゃん、、
などなど
なんかもう人間の醜い部分を、ゴッタ煮にしたような街。、

なかなか強烈な思い出です、、


そんな環境で、朝晩働きながら、
初台のアンミュージックスクールに
在籍だけして、
東京のジャズシーンの中に
無防備なまま突入していったのでした。

次回はそのあたりの思い出を書きます。。

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