見出し画像

#3時の雫_能「氷室」・安寧の祈り(1/2)

能「氷室」をみる


 清々しい緑のなかに、湿度を帯びた暑さが感じられます。水道の蛇口から流れる水もぼんやりとぬるく、ふと涼感をもとめるとき、私の脳裏に静かに蘇ってくるものがあります。それは、2021年の初夏に堪能したお能の舞台です。その頃の客席は新型コロナウイルスの感染予防のため、前列席は封鎖、残る客席も市松模様のように座席が空けられていました。観客の少なさにいつもと違う雰囲気を感じましたが、笛が鳴り響いた瞬間、舞台に吸い込まれていきました。
 その日の演目は「氷室」(喜多流、シテ粟谷明生)でした。季節柄、そのストーリーが体に染み入って清涼感をもたらしたことはもちろんですが、いつもにまして静かな気持になりました。
 以下は氷室のあらすじです。亀山院(第90代天皇)に仕える臣下が、丹後国(現在の京都北部)久世戸(くせのと)に参詣した帰り道、丹波国(現在の京都府中部と兵庫県東部)の氷室山で氷室の番人に会います。番人は臣下に氷室の謂(いわ)れを語り、今宵の氷調(ひつぎ)祭を見てゆくように勧め、氷室に消えていきます。この番人は氷室の明神の化身でした。夜になると天女が登場して舞を見せ、明神は氷を保つ威力を示し、都へと氷を運ばせます。

目と耳で感ずる涼感


 氷調は氷の献上のこと。新雪を冬のうちから 固めて保管し、その氷を水無月の夏に切り出して朝廷に届けるというものです。氷を保管する氷室は涼しい高山に設けられました。この作品の舞台となっている丹後国には宮中用の氷室が実際にあったようです。氷調の慣習は現在、外郎(ういろう)地に小豆が乗った水無月を食すこととして残っていると聞きます。
 当日の舞台は中央に氷室を表した作り物が置かれてあり、その作り物の頂きにしつらえた葉山には残雪のような白い綿が載っていました。いかにも山間部の窪地といった自然を彷彿とさせ、冷気を感じさせます。また後場、氷室の作り物から現れる明神は氷を模した小道具を持ち、扮装は白頭、装束も白を基調としており、金糸が冷涼たる輝きを放っています。その面(おもて)は厳めしく、この明神は高砂などに現れる神とは異なり、どっしりと重厚感のある山の神を思わせました。

 詞章もまた涼感を誘うものでした。古今和歌集で貫之が詠んだ歌

袖ひちて掬(むす)びし水のこほれるを春立つ今日の風やとくらん
(袖がぬれて掬った水、それは冬の間は凍っているのだが、立春の今日の風が融くのだろうか)

を下地に

夏の日になるまで消えぬ薄氷、春立つ風や、よぎて吹くらん、げに妙(たえ)なれや

と謡います。早春の風にも融けぬ薄氷の怜悧な固さが感じられます。中入り前、番人が消える直前の詞章は

山暮れて、寒風松声(しょうせい)に声立て、時ならぬ雪は降り落ち、山河草木おしなめて

とあり、冬の松風が冷え冷えと地に響くとともに氷室を司る力強い明神の到来を予告させるものとなっています。目にも耳にも冷風が吹き抜けるような舞台でした。今、この時代に氷を手に入れることは、いとも容易なことです。しかし、言うまでもなく当時、氷はたいへん貴重なものでした。
<つづく>


出典は国立能楽堂編(2020)『国立能楽堂』第441(令和2年7、8月)号に依る

エッセイは毎週金曜日に配信する予定です。


サポートを励みに暮らしの中の気づきを丁寧に綴ってゆきたいと思います。 どうぞ宜しくお願い致します。