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#5 時の雫_香りが呼びさますもの(2/3)

香りの記憶

 東原和成氏(東京大学大学院教授)の解説によれば、嗅覚は他の感覚と異なり、情動(扁桃体)と記憶(海馬)に直接、働きかけるそうです。なるほど、同じ木目の車両に乗っていても視覚と嗅覚では働きかける場所が異なっていたのですね。合点しました。

匂ふと薫る

 光が今ほどに暮らしを明るく照らさなかった頃、物を見定める一つの感覚として嗅覚が大きく働いていました。平安時代でいえば、当時の貴族たちは思い思いの香を焚き染めた衣服を身に着けていましたから、暗闇ではその香によってそれが誰であるかのしるしともなりえました。
 ところで、『源氏物語』では光源氏亡き後の物語として「宇治十帖」が編まれ、そこでは「匂宮(匂兵部卿)」と「薫(薫中将)」による恋の鞘当てが描かれています。この二人は対照的です。「匂宮」は世をときめく今上天皇の皇子。母親は光源氏の唯一の娘、明石の姫君です。「匂宮」の性格は華やかで女性とのうわさが絶えません。対して、「薫」は表向きには光源氏と女三の宮の子息となっていますが、本当の父親は柏木です。柏木は自ら犯した罪に苛まれ、病苦のなか死んでゆきます。成人した「薫」はあるとき、出生の秘密を知るのですが、その運命を背負うかのようにストイックな生き方を貫いています。「薫」の性格は絵に描いたように真面目。この二人の性格の違いは、実はそのまま「匂ふ」と「薫る」という呼称に表れています。

放つ香り・くゆる香り

『日本国語大辞典』(第二版、小学館)によると「匂ふ」の古くは

赤などのあざやかな色が、光を放つように花やかに印象づけられることをいう。色が明るく映える。あざやかに色づく。

と挙げられているように、色が際立っていることを指していました。その光を放つような美しさが「匂ふ」の原点ではないかと考えられます。視覚的な美しさはやがて嗅覚的な好ましさをも表すようにもなります。
 一方、「薫る」の古い用例から読み取れる語義は次のようです。(つづく)

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