見出し画像

#2言の葉ひらり_鯉のぼり(1/3)

鯉のぼりの始まり


 端午の節句が近づき、庭先やベランダに鯉のぼりの姿が見られます。近頃は町の風物詩として川風に吹き流される何十もの鯉のぼりを見ることも増えてきました。五月晴れの青空に鯉が泳ぐ姿は清々しいものです。よく晴れた空にかかる青みがかった雲を「青雲」と言いますが、この語には地位や学徳の高さという意味もあります。

青雲の志
雲が高い空にあるように高い志をもつこと、立身出世して高い地位につこうとする志。

さて鯉のぼりは中国の後漢書(432年)「堂錮列伝・李膺(りよう)」に現れる「竜門」にちなむものです。

鯉の滝登り
黄河中流域にある急流、竜門の滝を登りきることのできた鯉は竜に化身するという伝説から、人が立身出世することのたとえ。「竜門の滝登り」とも。

竜門は黄河中流にある渓谷の急流で、数千の魚が竜門下に集うも、その滝を登ることはできませんでした。そこから竜門を難関のたとえとし、次の語句が生まれています。

登竜門
竜門を登ることから、難関を突破すること。あるいは、そこを通り抜ければ立身出世ができる関門。

こうして語源は古いのですが、行事としての鯉のぼりの歴史は意外と新しく、『日本人形玩具辞典』

江戸時代、江戸時代、菖蒲(尚武)の節句として、武家階級ではことにこの行事を重んじ、家紋をしるした幟(のぼり)指物(さしもの)や幟(乳(ち)つけの幟)や吹き流し(幟の一種。輪に長い絹を張って竿の先に結びつけたもの、吹き貫きともいう)などの武家飾りを玄関前に並べ立てることが流行した。これに対抗して江戸中期以後、町人たちが武具代りに鯉幟を立てる風習が生まれた。

『日本人形玩具辞典』

とあるように、江戸時代の町人達の中にその始まりをみることができます。
とはいえ高崎出身の川野辺寛(かわのべかん)が記した『閭里(りょり)歳時記』安永九年(1780)刊では、次のように

四月二八日頃より、商坊(マチ)にて男児ある家には戸外にのぼりを建(タテ)、槍・長刀のつくりものを立ならべて、八日に至る、富家(フカ)は戸内に山川城池(サンセンジョウチ)の形勢をさまざまに造(ツクリ)出し、甲冑(カッチュウ)着たる偶人(ニンギョウ)に剣・戟(ゲキ)・弓矢(キュウシ)をもたせ、いにしへ高名(コウメイ)の勇士戦闘の勢(イキオイ)をうつす、又菖蒲刀とて大小の飾(カザリ)太刀を戸外に掛(カケ)、飾兜を多く立ならぶ、凡(およそ)男子十一二歳に至るまで、毎年かくのごとし。 

『閭里歳時記』

鯉の記述はなく、普及の程度は定かではありません。

狂言台本にみる「鯉の滝登り」


言語の面から「鯉の滝登り」の探索をすると、この語句の初出は『日本国語大辞典』(小学館)によれば、狂言台本の虎寛本(1792年)にあるようです。<つづく>

エッセイは金曜日に配信する予定です。


[参考文献]
北原保雄・吉見孝夫編著(1987)『狂言記拾遺の研究』勉誠社
北原保雄・小林賢次(1991)『狂言六義全注』勉誠社 
斎藤良輔編著(1997)『新装普及版日本人形玩具辞典』東京堂出版 
天理図書館善本叢書和書之部編集委員会(1984)『天理図書館善本叢書和書之部第六十三巻鷺流狂言傳書保教本四』八木書店
笹野堅校訂(1942)『能狂言 大蔵虎寛本 中』岩波文庫 
森銑三・北川博邦監修(1983)『続日本随筆大成別巻 民間風俗年中行事上』吉川弘文館 

サポートを励みに暮らしの中の気づきを丁寧に綴ってゆきたいと思います。 どうぞ宜しくお願い致します。