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#2言の葉ひらり_鯉のぼり(2/3)

狂言台本にみる「鯉の滝登り」


言語の面から「鯉の滝登り」の探索をすると、この語句の初出は『日本国語大辞典』(小学館)によれば、狂言台本の虎寛本(1792年)にあるようです。

(主)私(わたくし)の存(ぞんじ)まするは、山をこしらへまして、夫(それ)へ瀧を落しまして、鯉の瀧上りを致す所を致しませう(しょう)と存(ぞんじ)まするが、是(これ)は何とで御座らう。
 (私が思いますには、山をこしらえ、そこへ瀧を落としまして鯉の滝登りをする所を致そうと思いますが、いかがでございましょう)

出典は参考文献に記す


これは「鬮罪人(くじざいにん)」という演目の一場面、祇園会の山車の趣向として提案されています。ここに挙げた虎寛本は大蔵流のもので、記されたのは江戸末期です。大蔵流に残る狂言台本の最古本は大蔵虎明本(1642年)で、こちらの詞章は次のようになっています。

(主)(主)わたくしのぞんずるは、山をは(ば)いつものこと(如)くつく(作)つて、それからたき(滝)をおとひて(落として)、こい(鯉)が滝をのぞむ所がよからふと存(ぞんず)るが、ただし何と御ざらふぞ。

このように鯉の滝登りではなく鯉が滝の下で臨むとあります。「鬮罪人」の同場面について、他流派の詞章を比較してみても、次のように鯉の滝登りは現れません。 
・和泉流『狂言六義』(寛永年中、1624〜1643)︙鎌倉時代の武将、仁田四郎が大猪を射止める
・鷺流『保教本』︙(亨保初年、1716頃)鵲(かささぎ)の橋を囃子物で通る
・流派不明『狂言記』万治三〜亨保一五年間(1660〜1730)︙源義経と弁慶が五条大橋で戦う
江戸末期の虎寛本には催し物としての当代性がうかがわれます。

出世は仏教用語


 鯉のぼりは立身出世を表象するものですが、私達が使う「出世」という語義もまた概して新しいものです。用例としては近世初期の井原西鶴『武家義理物語』(1688年)あたりに見られます。<つづく>


[参考文献]
北原保雄・吉見孝夫編著(1987)『狂言記拾遺の研究』勉誠社
北原保雄・小林賢次(1991)『狂言六義全注』勉誠社 
斎藤良輔編著(1997)『新装普及版日本人形玩具辞典』東京堂出版 
天理図書館善本叢書和書之部編集委員会(1984)『天理図書館善本叢書和書之部第六十三巻鷺流狂言傳書保教本四』八木書店
笹野堅校訂(1942)『能狂言 大蔵虎寛本 中』岩波文庫 
森銑三・北川博邦監修(1983)『続日本随筆大成別巻 民間風俗年中行事上』吉川弘文館 

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