#5 時の雫_香りが呼びさますもの(3/3)
放つ香り・くゆる香り
一方、「薫る」の古い用例から読み取れる語義は
と挙げられています。「匂ふ」と異なり、際立った香りというよりは、立ちこめるような香りと言って良いかもしれません。香を焚いたとき、香りがくゆるように立ち上ることがありますが、「薫る」とはまさにそのような芯から静かに漂う香りであるように思われます。
『源氏物語』において、華やかな香りを発する「匂宮」と、くゆるような静かな香りを立ちこめる「薫」という二人の男性に求愛された「浮舟」はある日、「薫」のふりをした「匂宮」に気づかず夜を迎えてしまいます。その過ちは「浮舟」を死に至らしめました。「匂ふ」と「薫る」の語義そのものに互換性が認められるとはいえ(注1)、「浮舟」の判断力の脆弱さ、語弊を恐れずに言えば都の女性に及ばない鈍さがあったと指摘せざるをえません。
不祥事の香り?
「匂う」の放つような刺激は良い意味だけではなく、悪い意味にも用いられるようになりました。悪臭を表す際には「臭い」と表記されています。一方、「薫る」は好ましいものとして、今は「香り」の表記が多く用いられています。
そういえば、あるニュースの一場面で「香り」が出てきたことを思い出します。
“かつての不正会計問題と同じ香り”など経営陣の責任問う意見(注2)
私は思わずテロップに見入ってしまいました。好ましくない事態に「香り」が使われるのを見つけた、用例採取の第一号です。
この用例には考えさせられます。言葉は使い古していくうちに語感が悪くなるものです。「貴様(きさま)」や「御前(おまえ)」の敬意が時を経て薄れてしまったように、「香り」の語感にも変化が生じているのでしょうか。
とはいえ、嗅覚は記憶と密に結びつくものです。ここは良い記憶なのか、悪い記憶なのか、「香り」と「臭い」とを明確に使い分けてほしいと私は考えますが、いかがでしょう。
(#5時の雫_香りが呼びさますもの(終わり)
注1 吉村研一(2009)「『源氏物語』における「かをる」と「にほふ」の互換性」『日本文学』58(12)、日本文学協会
注2 2022年6月25日放送 NHKニュース「東芝 株主総会 経営陣の責任問う意見 永山議長らの再任が焦点」
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