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「貧乏だから」と育てられた裕福な家の娘の結末

小さな頃から「うちは貧乏だからね」と言って育てられてきた。母親に何度も言われたその言葉は今でもこだまして聞こえてくるほど印象深く耳に残っている。「ふーん。うちは貧乏なのかぁ」と小さな子供はなんの疑いもなく言葉をそのまま受け止めていた。

そんな言葉をかけられ続けていた小学生の頃の思い出といえば、週末に行く廻らないお鮨屋さんのカウンター。

家族五人座って好きなお寿司をたらふく食べたことや、お洋服は全て百貨店、ご招待で出かけたハワイ旅行に、年末には決まって一流ホテルで開催されるクリスマスパーティにドレスを着て参加していたこと。現実と母親の言葉が繋がっていないなんてことも子供にはわかっていなかった。

貧乏だけどおっきなお家に住んでいる。貧乏なのに駐車場には車が5台以上停まっている。それが大学生くらいになると「周りと違う」と認識し始めることが多くなった。

初めて回転寿司にも行ったし松屋やすき家にも行った。「行ったことがない」と周りに伝えるとひどく驚かれた。ようやくここで「貧乏ではなかった、むしろ恵まれた家だったんだ」ということに気がついてくる。

母親の育て方は正しかった。貧乏だと思っていた私は派手にブランドで着飾ることもしないが、一方で普段から百貨店に行って洋服を買ってもらっていたので満たされなかったことはなかった。高校生や大学生の頃になるとブランドのカバンも一つや二つは買っててくれていた。その頃のカバンは今でも大事にとってあるし使っている。そんな長年大事に使っている鞄を見て結婚を決めたのが今の夫だが、この話はまた別の機会にしようと思う。

小さな頃に「お金持ち」と自覚して育っていたらと思うと少し怖い。今とは違った世界の見方をしているだろうし、物欲にまみれてブランドバックを買い漁り着飾って周りからは華やかと思われる生活をしていただろう。もしそうだった場合、経営者の夫と結婚することはなかったと、むしろ選ばれなかったと断言できる。

世の中には華やかに着飾ってSNSで披露する人たちがたくさんいるが”家柄が良い”人たちは多くないと推測する。周囲の経営者の娘さんや大地主の息子さんをみても地に足がついている。いわゆる”品がいい”。派手な人たちには同じレベルの人が寄ってくるし、外見も家柄も私たちにはその嗅覚があり同じ境遇の人たちはわかったりする。家柄は変えることはできない。

「お金持ちはユニクロを、貧乏人はブランドバックを」とよく言われるができた言葉だ。着飾るかどうかは自分次第。結婚相手もそれ次第。貧乏と言われ育てられた裕福な家の娘の結末はアメリカに住む実業家と結婚できたというシンデレラストーリーだった。


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