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Prologue.2 人生の転換期

前回、生い立ちから教師になってからのことまでを簡単に書かせてもらいました。
今回は教師になった後からの人生の転換期を迎えたお話です♪
よければ、しばしお付き合いくださいね。

母の癌

最初から暗めのタイトルですみません。
私は元々、地元の高校の教師を目指していましたが、教員採用試験にて最終で不合格。

大学の卒業ギリギリまで就職が決まっていなかったところで、大学の教職を担当していた教授から推薦をいただき、地元ではない県の小中一貫校へ赴任することとなりました。

同時期には母の癌治療が思うように進んでおらず…そんな母へ元気や勇気を届けるためにも、私は教師として頑張る姿を見せようと懸命に働いたんです。

母が入院していたのは、私の就職先からトータル2時間ほどの距離でした。
そのため、仕事が多忙だったこともあり、看病になかなか行くことができず…行ける時には病室へ泊まる形で行くようにしていました。

泊まりがけで行った時、すでに今までの母とは違っていて…
切羽詰まっていたんだと思います。
看護師さんに八つ当たりする姿もありました。

心優しく、いつもニコニコしていた母の変わってしまった姿。
私は胸が締め付けられました。
けど、母はもっと孤独で辛い思いをしていたんだと思います。

そして、母は自身の希望で、実家にて自宅療養をすることになりました。
すでに体が思うように動かず、人工肛門になっていたのですが、母につきっきりで世話をしたのが父でした。

母が息を引き取ったのは、平日の昼間。
私は職員室で給食を食べ終えそうなところで、机の中の携帯のバイブ音が鳴り響きました。
その瞬間に嫌な予感がしたんです。

父は押し殺すような声で「母さんが息をしていない」と一言。
私は帰る途中で兄と合流し、実家への道を急ぎました。
車で4時間半ほど。すでに母は着替えを済ませ、静かに寝ていました。

父の癌

母の死から3年後。
今度は父の癌がわかり、その時にはステージ4で余命宣告されていました。

しかも母と同じ部位の癌で、転移先も一緒。
仲の良い夫婦だとは思っていましたが、そこまで似せなくても…と悔しかったです。

そのころの私は結婚をし、12月の結婚式に向けて準備をしていました。
結婚式に参列することが父の生きがいとなっていて、モーニングを着るための採寸も済ませていました。

7月末、私はなんだか嫌な予感がし、父へ連絡を試みるものの音沙汰なし。

8月に入って、ある日の夜。
胸騒ぎがして父の姉である叔母に連絡をしましたが、夜遅かったこともあってか連絡がつきませんでした。
なぜかその日は寝られず、気づくとソファで寝ていたのですが、早朝に叔母や兄から何件かの連絡がありました。

「父が危篤状態だから、すぐに帰ってきなさい」

幸い、父はまだ息をしていて、手を握ることもできました。
目を見て口を動かし、何かを訴えていました。
涙目で、苦しそうでした。

私は感謝を伝え、手をさすっていました。
奇跡が起こるのであれば、元に戻ってほしい。
父は最後の最後まで、必死に息をしていました。

地元で飛ばしたシャボン玉


新しい命

両親の死を経験したあと、私は情緒不安定な時期が続きました。
そのときに助けられたのは夫の存在です。

夜になると取り乱すことが多く、夫が夜勤でいないときには、過ったことをしないようにと気を張り詰めていました。

また、なかなか子どもを授かることができなかったのですが、それも相当なストレスでした。

「私がいつまでも悲しんでいては、両親も浮かばれないはず…私は両親に生かされたことを感謝して、私の残りの人生を全力で、笑顔いっぱいに生きよう」

気持ちが軽くなってきて、日々を楽しむようになってきた頃、妊娠しました。

新しい命。
両親の死は辛かったけれど、かげかえのない我が子に出会えた私は、少し強くなれた気がします。

この数年の間に、ガラッと人生が変わりました。
私にとってこの数年は、まさに人生の転換期です。


現在、Beauty Japan BAY areaのファイナリストとして挑戦中です✨
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