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ワタシという生き方にもがく

教育に携わっていた頃

私は教師とか、保育士とか、人の教育に関わるお仕事ってすごいなって思っています。
ただすごいって言いましたけど、だって、子どもたちの未来がそこで関わる一人の先生によって左右されることもあるからです。
子どもたちに影響を与えていくお仕事ですからね。

私自身が教師や保育者としてお仕事していた頃、日々そういったことを実感していました。
それに、目の前の子どもたちの成長を見るのが楽しかったし、とてもやりがいがありました。

むしろ、私が子どもたちに成長させてもらっていたように感じます。

私はよく、
この子たちはどんな未来を歩んでいくのだろう
と考えることがありました。

中学生くらいだと、『就きたい職業』について悩まなければならないときもあったんですよね。職場体験学習とか、進路を考える上で。

なんだかもうその時点で、子どもたちの未来を狭めているように私は感じていました。
『就きたい職業』でなく、『なりたい未来』とかそういう考え方のほうがいいんじゃないかな、と今は思います。


そして、私は子どもたちと未来について考えるとき、私自身の未来についても考えていました。

教育をする者でありながら、自分の未来がわからない…

私の中で教師という仕事を定年退職まで続けているイメージはすでにありませんでした。

なぜなら、父も母も50代で亡くなり、急に自分の人生と向き合うことになったからです。


私は何がしたい?

4年くらいの間に急に両親が旅立ってしまったもので…
親孝行のために稼いで旅行に連れて行く、とか、そういう未来が失われてしまって。

あれ?私はなぜ『教師』として働いている?
私がなりたくてなったんだっけ?

中学生くらいからなんとなく教育というワードが頭にあったわけですが…今思うと、教師という仕事に就くことで、父母や祖父母が喜んでくれたんです。

だから、その道を選んだ。結果、他人軸で生きていることがわかりました。じゃあ、私のやりたいことは何なの?と思ったわけです。

20代後半から現在まで、自分って何者なのか、何をしたいのか、どうなりたいのか…
理想の未来って何なのか。ずっと考えてきました。

それに加え、両親の死後は心も身体もボロボロで。
帯状疱疹が出たり、腎盂腎炎になりかけたりしました。

その時に支えられたのは周りの存在。
旧友からは「親の人生じゃないよ。さなちゃんの人生じゃん」と。

生き方に悩んでいた私は、その言葉によって変わりました。
同じ人生を歩む人はいないけれど、みんな色々なことを抱えながら生きている。


父と最後に見にいったひまわり

現時点での答え

私はワタシという生き方を、やりたいことを諦めない。
私自身がいろんなしがらみやブロックから自由になる!!

そして、今は女性の生き方や働き方のサポートをしています。

また、教育や自然を融合させて、子どもたちに生きる力を育みたい。
私も自然に助けられたし、さまざまな経験をしている私だからこそ伝えられることもあるはず。

ここらへんについては、次回詳しく書いていこうかな。
文章をまとめるのって本当に難しい。
けど、いい勉強させてもらっています♪

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