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懐かしいという言葉

昔の友人ともSNS上では広く薄く繋がっているし、あの当時熱心に聴いていた曲もサブスクでいつでも聴ける。時間も場所も関係なくあの時の記憶にアクセスできてしまう現代の環境は、時系列に並んだ記憶をふやけさせて平面化してしまう気がする。うまく表現しにくいが、5年前も10年前も今現在という地点に同居しているイメージだ。
VRで昔の建築を再現するように、これからは既に無くなったものですら仮想上で今に存在してしまう時代になるのだろう。この流れを長期的にみてみると、懐かしいという言葉はやがて絶滅してしまうのかもしれない。

久しぶり という言葉は時間経過のあやふやさの代表的な例だと思う。1ヶ月間が空いただけでも思わず久しぶりと言ってしまう時もあるし、1年ぶりの再会でも何事もなかったかのように本題に入っていく。今は遠くに住んでいる友達と年に数回会うのだが、久しぶり! もなければ 元気? もない。合流したらそのままカラオケに向かい思い思いに自分の好きな曲を歌うのが恒例だ。いわゆる腐れ縁というやつだが、何事もなかったようにひたすら歌うことがある種の近況報告となっているようだ。

そんな自分自身は生まれる前の時代の曲を聴いてはつい“懐かしい”と言ってしまう質だ。おそらく懐かしいの本来的な意味からは逸れているのだろう。リアルタイムで体験した当時の記憶や個人的な感情に基づいたものではない”懐かしい“は、本来の懐かしいとの間にきっと大きな壁がある。表面をなぞるように”懐かしむ“ことに時々虚しさも感じる。
この個人的な体験に基づかない“懐かしい”を本来の懐かしいと区別するために相応しい言葉を当てられないかと考えているが、思い当たる言葉が見つからない。エモいという言葉も生まれているがカジュアル過ぎるし、使い方は時間経過のニュアンスに留まらない。意外にも古典を紐解いてみたらこの“懐かしい”に最適な言葉を当てていた時代があるのかもしれない。いつか“懐かしい”に代わる表現が見つけられたら嬉しい。

ここまで書いてみたところ、懐かしいという言葉はやがて絶滅するというよりは、形を変えて存在していく気がする。それを踏まえるとどうやら悪い未来ではなさそうだ。


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