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緑のりんご

 息子はときどきびっくりほど物知りで、ときどきびっくりするほど物事を知らない。
 「おでんって何?」
 コンビニのレジにあるのぼりを読んだ息子が、不思議そうに聞いてきた。おでん知らないの!?一瞬びっくりしたが、振り返ってみると確かに私は息子におでんを食べさせたことがないし、今まで読み聞かせた絵本におでんが登場した記憶もない。
   次の日、保育園の帰りに息子とおでんの材料を買い出しに行った。大根、たまご、タコ、ちくわやごぼう天。スーパーで「もう良いんじゃない?それぐらいにしておこう?」と息子が焦ってしまうほど、私はたくさんの具材を買い物カゴに入れた。息子にとって初めてのおでんの記憶を、少しでも彩りたい。家に着き、急いで仕込んだ平日の夜ごはん。息子は数ある具のなかでもがんもが気に入ったようで、同じものを3回ほどおかわりしていた。短時間で作った味の馴染みきらないおでん。それでも息子は、コンビニでおでんの文字を見つけるたびに「この前おうちで食べたよね」と喜ぶようになった。

   最近も息子が知らないものを見つけた。それは緑色のりんごだ。
 本来は「青リンゴ」と呼ぶべきなのだろう。でも、息子には昔の人たちが緑を青と呼んでいた事実がどうしても受け入れられないらしい。もともと、私が「青信号」と口にすると「緑だよ」と指摘してくる子だ。案の定、青リンゴにも「緑だよね」と突っ込んできた。青リンゴを話題に上げるたびにこのやりとりをするのは面倒…もとい、大変なので、私はいつか息子が納得するその日まで青リンゴを緑のりんごと呼ぶことにする。

   息子と緑のりんごの出会いは、外食先の取り皿に描かれたイラストだった。赤と緑のりんごのイラストを見た息子が「りんごと梨が書いてあるね」と言った。「そうだね。全く同じ形だから赤リンゴと青リンゴの可能性もあるね」と私が言うと、「青のりんごなんてないんだよ」と息子。

「昔の人は緑のことを青って呼んでたんだよ。緑色のりんごがあるの」
「えー!?ないよ緑のりんごなんて!」

 振り返ってみると確かに私は息子に緑のりんごを食べさせたことがないし、今まで読み聞かせた絵本に緑のりんごが登場した記憶もない。
 次の日、おでんの日のことを思い出しながら息子をスーパーに連れて行き、売っていた王林を見せた。
   「本当だ!緑色のりんごがある!」と大喜びの息子。
 「赤いりんごと緑のりんご、息子が美味しそうだと思うのを1つずつ選んでごらん。」そう言うと、息子はたくさん積まれたりんごの山を前にしばらく思案したあと、鮮やかな2つのりんごを手にとった。2人で相談し、夕飯のあとにどちらも半分ずつ切って食べ比べてみることに決めた。

   赤いりんごは、ふじ。とてもみずみずしく、舌触りが柔らかい。噛むとまるで擦りりんごを食べているような食感だ。
 そしていよいよお待ちかね。緑のりんごは、王林。ふじよりも歯応えがあり、後味はあっさりと爽やかだ。(ふーんなるほど、こうやって食べ比べてみると随分味が違うものだな)と静かに感心していると、王林を口に入れた息子が小さく目を見開いた。
 「ん!?おいしい!緑のりんごの方がおいしいよ!」
 息子は王林がお気に召したらしい。残ったふじに見向きもせず、王林を乗せたお皿を抱えてシャクシャクと夢中で食べている。緑のりんご、本当にあったね。それにしても、4歳にして自分好みのりんごの品種に出会うとは。

 私は今日も、息子の「産まれて初めて」をおすそ分けしてもらう。もしかしたら息子と同じくらい、私だって何も知らない。もっと貪欲に、もっと軽率に、息子と小さな発見を積み重ねていこう。
 それまで品種によるりんごの味の違いなんて意識すらしたことがなかった私は、20ウン歳も年下の息子がなんだか大人びて見えた。

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