「美しさへの感動」という行動原理
最近気づいたことがある。
僕の行動原理の最も根本にあるものは、「美しさへの感動」かもしれない。
誰かのためや、世界のために貢献すること。世界中の人々の笑顔。(人以外も)
それは僕の大きな願いである。
でも、それは1番最初の気持ちではなかったかもしれない。
どうしようもなく心が動かされるもの、焦がれてしまうほどの美しさ。
そんなものに惹かれて憧れて、、今の自分がある。
その美しさの中で、最も美しいと感じたのが、「優しさ」だったんだと思う。
ちょっと昔話。
僕は物心ついたころから恐竜図鑑を眺めていた。
恐竜が好きと言うより、遥か遠い過去の地球に感動していたんだと思う。氷河期のページや、生命の始まりのページばかり眺めていたのを覚えている。
小学生低学年では、夜と和歌の美しさに虜になった。
10歳ごろから、1番の興味はもっぱら宇宙の始まりで、因果律を考慮するとこの世界は一体なんなんだ、どうなってるんだと悩むようになった。
と同時に音楽に心を奪われピアノを始めたり、漢字辞典を隅から覚えるために漢字の勉強をしたり、なぜかノルウェー語(デンマーク語だったかも)の文法書を読んだり、なんだかんだ好奇心に身を任せていた気もする。
中学生の頃は、打って変わって世俗的で内面的な葛藤に悩んでいた。学校という狭い世界に囚われるようになった。
でも15歳くらいからだろうか。人と人との繋がりに美しさを感じるようになった。
それは、小学校の頃の記憶を思い出して人生の儚さを思ったり、ゲストハウスのお手伝いをさせていただいたり、学校でも積極的に人と関わったりしていた期間だったからかもしれない。
とにかく人が大好きになった。
宇宙と存在論に頭を悩ませていたはずの自分は、気づいたら人間大好きマンになっていた。
しかし、16歳から17歳にかけて、僕はだんだんと人間が嫌いになっていった。(何があったんだ、、)
だんだんと見えるものが増えて、人間の汚さや弱さに絶望するようになったのだ。(そういう自分も同じだったんだけどね。)
ニュースが他人事のような世界、誰かを嘲笑う風潮、優しい人に陽が当たらない世界。
当時の僕には、それらに敵意を向けるしかできなかった。
「人が好きだから人が嫌い」という感じだった。
もっと人々が思いやりを持って、助け合う世界になって欲しいと思った。
そして、優しい人の優しさが理解される世界であってほしいと思った。
澄んだ目をした優しい人に憧れた。あんな風になりたい。優しい人になりたい。そう思う人が学校に2、3人いた。
それから時は経って18歳、倫理の教科書に人生を変えられる。
ヴィクトール・フランクル、アルベルト・シュヴァイツァー、レイチェル・カーソン、などなどの多くの偉人と出会った。
こんなに美しい人生を歩んだ人たちがいたのかと思った。
ずっと将来の夢に悩んでいた。漠然と優しい世界を願いながらも、結局僕は自分のことばかり考えていたし、厭世的になっていた。嫌っていたはずの人間と同じだった。
こんなに人のため、世界のため、深く考えて生きて人々に希望を与えた人たちがこの世界にいたのかと感動した。人種や宗教の壁を超えて人々を繋げる想いに心が震えた。
それは、何よりも美しく思えた。自分もその美しさを追い求めるしかない。人間の優しさを信じて、前向きに生きていく道もあるんだと思えるようになった。
それから、加速度的に同様の出会いが増えた。Orangestarさんの音楽や長田弘さんの詩とか。どちらも人生の目標になるような出会いだった。
そうして今に至る。
優しさという美しさを追求することが人生の1番のテーマで、今は、そのために自分にできることはなんだろう?何をすべきなんだろう?って模索してる。
今のところ精神科医になるつもりだけど、心理学もちゃんと学んで心理士というか心理学者にもなりたい。
最近は、医療社会学者や医療倫理学者になって、根本から人間の在り方や社会の在り方を考えることで世界に貢献するのも良いかもとも思ってきた。
あとはWHOとかで働くのもありかもしれない。
本も書きたい。
ヴィクトール・フランクルのように、人の心を動かすような本を書きたいし、新しい何かを世界に提示したい気持ちも強い。
そして、困ったことに僕の本質は人のためではなく「美しさへの感動」である。
ただ誰かや世界のために生きることだけが幸せの全てではない。
音楽や詩を書くのが好きだ。
自己表現を通じて人の心に何か少しでも良い影響を与えられたら嬉しいな、なんて思ったり、そうでなくても自己表現そのものが楽しい。美しいものを生み出せるようになりたい。
あと、僕は服飾やものづくりにも興味がある。
心惹かれるブランドの作ったものを買うのが好きだ。好きな作家の本を買うような感覚と似ているかも。あとは自己表現としても楽しい。
そして、自分の中にもアイデアが湧いてくるので、いつか形にしたいと思っている。
そして、今でも宇宙の始まりとかだって興味がある。
見方によれば、宇宙の神秘を明らかにすることも、優しさに繋がる美しさな気もするし。
「美しさへの感動」は、想像力であり、他者性への畏敬であり、あらゆる可能性であり、二元論を超えた道である気がする。(それこそレイチェル・カーソンのセンスオブワンダーに近い感性?)
僕にとっては優しさを願い信じるきっかけとなったものだから、これからも大切にしていきたい。そして、美しさを追い求める過程で人生を楽しみ、その結果世界や誰かのために自然と貢献できていたら嬉しいな。
(こうして振り返ってみると、MBTI的に考えると心の利き手はENFPの方なのかもしれないと思いつつ、INFJの方が今の自分にはしっくりはくる気もして、心理機能の解釈次第なのかなーとか思ったり。どっちでもいいような気になるような。不勉強だから断定はできないけどMBTIも結局心理機能の解釈モデルの1つだと思うから、とりあえずNF型ということで広く捉えておこう。。詳しい方いたら助言をください…!)
とにかく、いつか自分のランプが美しく輝くような毎日を生きていけば間違いはないだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?