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何者であるかとか、何を成すかよりも大切にしたいこと

僕が何者かになって何かを成し遂げたとして、そのほとんどは運と誰かの優しさのおかげである。

職業や肩書きとか、何を成し遂げたかとか、そんなものよりも大切な心を忘れたくない。

僕も、生まれ持ったものや育った環境、周りとの関係性とかが違えばどんな人生になっていたか分からない。

きっとただ一つのことが違っただけで、心を壊して自ら命を絶っていた人生もあったと思う。

紛争地域なんかに生まれていたら、夢を持つことすらままならず生きるだけで精一杯だっただろう。

そう思うと、今の自分がいることは奇跡である。

だからこそ、自分は自分の人生でできうる最大限のなすべきことをしたいし、人生から問われている意味に答えたい。

肩書きとか職業とか成果とかは関係なく、何よりも大切なのは人生や他者に対する態度的なものだと思う。

僕がこれからの未来で、何かを成し遂げてどんな偉大な人間と言われようとも、誰にも知られない名もなき人間になろうとも、僕は僕で変わらない。

だからこそ心を磨きたいと思う。

僕がたとえ誰にも知られず、何も残せないような、そんな人生を送ることになったとしても、人生に対する態度だけは失いたくない。(でも正直、何もかも失うのは怖いよね。)

その中で、今の自分の力と可能性でできうる最大限の努力をして、星の瞬きくらいの光をこの世界に対して残せたら本望である。

僕の目標の一つは、ヴィクトール・フランクルに並ぶくらいの精神科医になることである。(有名になるとかではなく、そのくらいの貢献をしたいということ)

もしそれが叶った場合、きっと称賛されてしまうかもしれない(ちょっと気が早いな)。

しかし、やはりそれは自分の力などではなく、成果というのは殆ど運ともらった優しさによるもので、もし称賛に値するものがあるとしたら、そこまで想いを絶やさなかった心くらいなのかなと思う。

いや、しかしその心を持てたことだって結局誰かの優しさのおかげであろう。うん、やっぱり未来で僕が称賛されるときがあったら、僕のことを助けてくれた人たちのことを称賛してもらおう。きっと紹介しきれないな。

どれだけ立派な態度で生きていても、何もなさなければきっと多くの人の目には映らないかもしれない。寂しいかもしれない。しかし、誰かに愛されるために不安で生きるくらいなら、不安もまるごと人生ごと愛していたいと思うのだ。

でもやっぱり、正直なことを言えば愛されたいと願ってしまう自分がここにいる。
この気持ち自体は悪くないのかもしれないけど、本当はまだまだ弱さと不安でいっぱいなんだろうな。

今の自分は夢と理想論を大きな口で語っているだけの幼い人間なので、全然賞賛なんかされないでいい。僕は、聡明な優しさを持った人たちに心を動かされただけで、凡人なんだと思ってもらえた方が嬉しい。
でも、そんな弱い自分のことを見てくれる人がいるのは本当に幸せだなぁと思う。年齢も性別も関係なく全員親友みたいな気持ちを抱いてしまう。
(今はひとりごとを言うだけで精一杯なんだけど、、)

ただただ自分がここにいられる運ともらった優しさをを忘れることなく、人生が問いかけてくる問いに答えて、瞬間瞬間で、自分しかできない自分のなすべきことをして生きていきたい。

(でも人生を楽しむという明るさも忘れないようにね)

あ、0時前に寝ると宣言したのにこんな時間!寝ます。おやすみなさい。

読んでいただきありがとうございます。





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