食卓の向こうに見えるもの vol.1 ~食卓文化の歴史~
きっかけは一枚の白いお皿。
その当時まだ聞いたことのなかった「テーブルコーディネート」という言葉に興味を覚えレッスンのドアを開けると、季節や祭事のテーマに合わせて食卓の上を飾る、華やかで非日常的な空間がありました。
夢中になり楽しむうちに華やかさの向こうに見えてきた食卓文化の歴史――ヨーロッパ中の王様が憧れ恋焦がれ、こぞって制作を命じた濁りのない白い薄いお皿。
中国で焼かれた磁器は17世紀、ポルトガルやオランダ、イギリスによってヨーロッパ大陸へと運ばれ、特にオランダ東インド会社を擁したオランダでは、ハーレムやデルフトの街を中心に窯業が盛んになりました。
毎日食卓に上るお料理、食器、お箸やナイフやフォークといったカトラリー、グラス、キャンドル、お花などには長い歴史や文化、ロマンがたっぷりと詰まっています。
そして時間の流れと共に食卓から消えてしまったものや、形を変えて現代に残っているものももちろんあります。
某月某日、オランダ東部の村ドールウェルトDoorwerthにあるお城 Kasteel Doorwerthに行きました。とても寒い日でティールームに入って熱いココアを飲んでほっと一息。
何気なくあたりを見回すと、天井に近いあたりズラリと並ぶスープチュリーン。
思わず息を呑んでカメラを構えました。古い歴史のあるヨーロッパの食器メーカーでは今でも必ずあるアイテム、スープチュリーンまたの名をスーピエールとも言います。
このスープチュリーン、ご覧のとおり6人~10人分くらいは入りそうな大きな蓋つきの楕円形の鉢で、熱がテーブルに直接伝わらないように普通は高台があり、伝統的にはお揃いのお皿がついています。これを食卓の真ん中に置いて家長か主婦が一人ずつに配り分けます。
消えつつある食器・スープチュリーンとは
スープチュリーンは、ルイ14世が絶大な権力を見せつけたバロック時代あたりから、非常に華やかな形状で食卓の真ん中に登場します。
もちろん実際にスープ、もしくはシチューが入っていましたが、ルイ14世にとってのお食事は時折公開で行うくらいでしたから、言ってみればひとつのショー。
食卓の真ん中でいかに目を惹くべく華やかで贅を凝らしたものだったかは想像に難くありません。西洋では陶磁器が使われ出す以前は王侯貴族の食卓に銀器が使われていましたから、ルイ14世が最初に見たスープチュリーンも恐らく銀器だったことでしょう。
さて私もかれこれ10数年前にスープチュリーンを含むフルディナーセットを求めました。リチャード・ジノリのフレッシュ・ハーブというシリーズです。
吟味を重ねて選んだのに、私の記憶の限りではスープチュリーンを使った覚えは一度しかありません。
大袈裟だし気恥ずかしくてなかなか使えなかったのです。
オランダに持ってくるのも手間なので日本の義妹に使って頂いていますが、オランダのインテリアには違和感なく溶け込むものかもしれませんね。
このスープチュリーンという特別感のある食器はそろそろ食卓の表舞台から姿を消しつつあります。
だからでしょうか、アンティークショップなどで見かけると目が離せず必ずじーーっと眺めてしまいます。
そしてそのような骨董市で見かけるのは必ずと言っていいほど白の陶器製。
まさにそれを一堂に集めたかのような、スープチュリーンが並んでいる様子に胸がときめいたと同時に、廃れつつあるスープチュリーンのシンプルな白陶器を探し求めようかな、という気になってきました。
もしDoorwerthに行かれる機会があれば是非ティールームに寄ってみてください。間近に見れないくらい高いところにあるのが残念ですが、遠目でも楽しめると思いますよ。
ところでスープの語源というと固く焼いたパン、などという意味があるそうです。オランダ語や英語ではスープを飲むとは言わず食べるという言葉を使うのもこの辺りから来ているのかもしれませんね。
(リバイバル記事 2014年 記)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?