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エッセイ:生と死

人は誰もが自分の人生しか知らない。子供のころ、誰もがこの世界は自分中心に回っている、そんなことを感じた人も多いのではないか?
自分の人生しかわからない、だからわからないことに対して、勝手な想像をする。それは死に対しても。
最近、死生観に関する本(哲学関連が多いかな)、また科学的な遺伝に関する本などを読んでいる。まぁペースはゆっくり、ざっくり読んでいて、内容も大雑把にしか入ってない。そこで死というのもそういった本の中でもテーマになってくることがありますがやはり死というのは誰も経験したことはないもので想像の割合も多くなってしまう。
死が怖い、不安というのは死というものを経験した人がいないし、未知のもの、そんなことをいろんな本で学者が述べている。死ということを定義することは難しいがそこが決まらないと話も始まらないこともある。経験したことのない死について、最近、事件や事故などで暗いニュースも多い、もしかしたらコロナの影響もあるのかなとも思ったりもする。コロナ禍になって、いろんなことが変わり、いろんな影響が出て、生きる目標が変わったり、なくなったり、またいろいろあって生きる価値を見失ってしまうケースもあるように思う。近代になり、知識というのはとても重要な要素であって、逆に哲学者のような難しいもの、根拠が定かではないものは少し敬遠されていた時代もあったように思うがコロナだけではなく、今後の未来は哲学的な生きる意味・価値であったり、どう生きるべきかという倫理観というのは大事なものになってくるように思います。
哲学的なことも倫理的なこともダメ人間の自分は他人に言うことはない。ただ「死」をどう意識するか?というのは大事なことだろうと思うし、ゴールを意識することでポジティブに捉えられることもある人も多いと思うし、自分もそちら側の人間だ。
人間だけではないけど、遺伝子の情報というのが大事な核、肉体というのはただの乗り物、ドーキンス博士が一時期、そう例えていた。遺伝子というのを中心で考えれば、例えば不老不死のような生物、それに近い生物もいるがそういった生物というのは進化の競争、生存競争に負けて、地球上の生物の主役になれないだろう。ヒトという生物の一つの種と考えれば、不老不死ということを考えるよりもどんどん肉体を取り替えて、新陳代謝をして、ヒトという種を進化させていったほうが効率がいいのだろう。もしドーキンス博士が言うように遺伝子が主役で世界があるならば不老不死を願う人よりも死を受け入れる人が多くなれば、円滑に進化が進むのかもしれない。
死を受けいれる、東洋思想、仏教では輪廻転生という考えがあり、自分なんかも仏教徒ではないけどなんとなく輪廻転生みたいな考え方、感覚というは持っている。そしてこの考え方は正しいのか?科学的に研究のテーマになるかもしれない。少し前のネット記事でプラナリアやアメフラシでの実験で遺伝で「学習行動」が受け継がれる、というものがあった。「学習行動」が受け継がれるというのは、親が経験し、生存競争で有利な行動が遺伝子(RNA?)を通して子に伝わる、いわば本能というのが伝わっているだろうという内容。(WIRED記事2019年7月5日 https://wired.jp/2019/07/05/inherit-learned-information/
まだこれは一部の生物での実験で今後、いろんな生物でも実験が行われるだろう。そもそも素人の自分が調べた記事で実は科学的に間違っている可能性もあるだろうし、裏も取れていない。これが正しいのか、ヒトのような種にはあまり関係ないのかは未来にならないとわからない。しかし、ヒトにも親から本能をもらっている、このようなことが起こっていると仮定した場合、どれくらい影響を受けているのか?そういったことに興味がわく。単純に遺伝なのだから当たり前と考える人もいるかもしれない、しかし、遺伝として子だけでなく孫、その先まで続くかもしれない本能であり、それが何代も築き上げた結果ではなく、一代でもそういったものを生み出すこともあるというのは凄いことだなと思った。
遺伝的に子は父、母の50%ずつのコピー体とすれば親は生きているとして、本能として自分の選択を左右させていることもあるのかもしれない。また親の親、祖父母もそこに関係している。そう考えれば、自分の人生は自分の人生しかわからないけれど、実は親や先祖というのが本能という部分で自分の人生を一緒に味わっているのかもしれないし、それは輪廻転生というものに近いのかもしれない。
いつも備忘録的に何となく書いているので、まとまりも着地もあまり考えず書いて、今回の着地は曖昧な感じになったけど、今後、死という捉え方は重要な時代になると思うし、そういったものを意識することで生きやすくなる人も多くなるようにも思う(オカルト的なものはトラブルになりやすいのであくまで学術的な面で活発になるだろうし、そういったものも今後は増えていくだろうと思う)。ただ死というのは非常にデリケートなもので捉え方を間違えば大きな間違いも起こりえて、同時に倫理観というのも重要になってくるだろう。
死後の世界、それは地獄や天国のような世界ではなく、子孫の肉体、精神を通して、本能の中で生きている遺伝子が見る近未来かもしれない。

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