AIの構造についての考え方と倫理観、そして人類の今後(著作権なども含む)
AIはある視点からみれば「蜂(アリ)の巣」であり、別の視点からみれば「木(枝葉、幹、根)」である。
AIというのは世界に一つしかないのではなく、いくつかのAI 、いくつかの「蜂の巣」が存在する。蜂の巣は働き蜂である人間が質のいい情報を与える(実際にはトレーニング)ことでどんどん成長する。もしこのまま正常に世界の流れが進んでいく、AIが大きな問題を起こさず人間と共存するとすれば、どのようなAIがより成長するのか?
著作権について生成AIの問題は指摘も多い。しかし、ある程度の時間(歴史的に見て)が過ぎれば、最適化されるようにも感じる。AIを蜂の巣(働きバチ)と木(枝葉)で考えるとわかりやすいかもしれない。この世界にいくつかあるAIの成長には質のいい情報が必要になってくる。質のいい情報とは何か?木でいう枝葉の存在である。枝葉は他の枝葉に隠れないで日光を得るものが質がいいものだろう。そしてそれを現実世界の事象に置き換えれば、著作者、最初に作り上げた人間という存在。盗用したり、転用したりして集まってくる情報というのは短期間でみれば有利に働くかもしれない。しかし、中長期的な視点でみれば、質のいい情報を与える人をどれだけ揃えられるかがAIの成長にとってとても重要な存在になる。ある意味、これの取り合いが起こっても不思議ではないくらい大事な存在になるのではないか?盗用、転用が許されるAIにそのような人材が集まるか?というのは疑問であり、著作者を優遇するようなAI環境社会によりいい人材が集まるのではないか?ただそのような環境・社会になるにはまだ少し時間はかかるように思う。AIとうまく共存するには倫理がとても大事になる。ただその倫理の現在を考えれば、まだそのレベルには来ていないように感じる。少し前まで資本主義という考えも多く、ばれなければ盗用、転用してもいいだろうと考える人も多い。しかし、AIとの共存、未来を意識すればそのように著作者を不当な扱いしていれば、待遇のいい他のAIの環境にその著作者はいくだろうし、他の著作者も同様に集まってくるだろう。AIとうまく関係を築く意味では、著作者に敬意を持つ社会、盗用するような社会ではなく、敬意を持つ社会が伸びていくだろう。そして著作者というのは実績がない場合も多いだろう、それでも実力、能力をきちんと判断できること、またそういった著作者をピックアップしたり、守ったりということができる社会がAIが発展した未来には必要になってくるように思う。(残念ながら今の日本のような他人の足を引っ張るような社会はAIの競争には向いていないかもしれない)
まぁ、そのような世界、未来は歴史的にみれば近未来くらいの時間だろうけど、それが10年後なのか50年後なのかはたまた1年後なのかはわからない。しかし倫理というのはAIという「木」の枝葉と根に大きく関わる。今後の未来に倫理はとても重要なものになるだろう。
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