向日葵

私の未来予想図… 今、人生の岐路なのか…『これからの人生どうしたいの?』 それを考えた…

向日葵

私の未来予想図… 今、人生の岐路なのか…『これからの人生どうしたいの?』 それを考えた時、自分の人生振り返りたくなった。 なんの変哲のない、今までの人生のエピソードとこれからの人生のあり方を未来予想図として物語り風まとめたもの。

最近の記事

今日のランチ🥪🥛 高校生の頃からあったけど、なんと40年以上経つお店だったなんて知らなかった😆 #今日のランチ #サンドイッチのお店 #OCM

    • 【私の未来予想図】~中学時代•前編~

      中学時代の私は、剣道部に入ったのだ。 もともと食が細かった私は、子供の多くは大好きな『肉』が嫌いだった。 脂身のギトギトブヨブヨしたのが、吐きそうになるくらい嫌だった。 だから晩ご飯で『焼肉』と言われてた暁には酷く、イヤな顔をしていた事は、記憶にある。 『焼肉』でも、野菜しか食べなかった。 そんな親が心配して、第二次成長期にあたる中学生は、 運動部に入れたいということもあったのだ。 たまたま仲の良かった友達が『剣道部』に入るというから、私も一緒に入部したのだ。 そして

      • 【私の未来予想図】~小学生~

        小学生時代の記憶… 内弁慶と言われてた事もあり、比較的に学校では “大人しくいい子”にしていた。 家の前に、同級生もいて毎日遊んでいたが、 やがて高学年になると家の前の子ともあまり遊ばなくなっていった。 母親が洋裁が得意だったこともあり、小学生まではワンピースやスカートを縫ってもらったり、ニットを編んでもらったりしていた。 当時、母はバザーに、エプロンや小物を出展して売っていた。それに一緒にシュシュとか小物を作ってお小遣い稼ぎしていたような記憶がある。 私は、そこまで

        • 【私の未来予想図】~幼少期〜

          私はほぼ、祖父母に育てられたようなものだった。 両親とも、もちろん一緒に住んでいたが、 父は朝早く、夜は私が寝る頃、寝た後に帰宅する。 母は朝から夕方まで、パートへ行き夜は自宅でご飯の準備や家事をしていたが、あまり一緒に過ごした記憶がない。 祖父母と一緒に同居していたので、 土曜日に学校から帰ると、祖母がお昼ご飯の準備をしてくれていた。 私は、初孫だったことも言うこともあり、 それはそれは、祖父母に可愛がられていたと。 目に入れても痛くない。 祖父の浴衣の懐中に小さな私を

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          書くのが苦手な私が、noteをはじめた理由

          約1年半前…何もかも失ったような絶望感、虚無感、無価値感、無気力… ただ辛うじて、生きている。生活のためだけに、仕事は行くけど死んだ魚の目をして、生きる屍のようだった。 約2年半前に『人生このままで終わるのか…』 そう思いを悶々と抱えてた矢先、大好きだった『旅行 』の仕事も社長のひと言が引き金となってしまい辞めてしまう… とりあえず、生活のために仕事を始めるも トラブルや仕事を直ぐに変えることになったり 恋愛とかでボロボロになってしまった 『楽しい』『好きだ』と思える

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