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ごめんなさい、古舘さん。~『伝えるための準備学』を読んで~

私は、古舘伊知郎氏のことを、ほんの少し苦手だと感じていました。
立て板に水のごとく、次々と繰り出される実況にコメント。流ちょうなトークができて、人をうならせることが出来る。

その姿がご自身に酔っているようにも見えて、正直、鼻につくと勝手に感じていました。とても失礼ですよね。

なのに、この本と出会ってしまいました。
そして、古舘氏のイメージが、ガラッと変わりました

蛍光オレンジが目立つ表紙。
「伝えるための準備学」という言葉が気になる。

noteの書き手となって6か月余り。
本のタイトルとデザインに惹かれて、書店で購入しました。

この本を読む前の古舘氏のイメージ。

  • 台本なしでどんどんしゃべる。

  • アドリブを巧みに使い、視聴者を飽きさせない。

  • 自身を「しゃべりの天才」と思っていそう。

失礼なものも入ってますね。正直に書きました。

でも、本を読んだらイメージが大きく変わりました。

古舘伊知郎氏のトークは、想像を絶する準備の上で成り立っていた。

しかも、念入りに準備をするだけではないのです。
準備したことを捨てるのを厭わない。

私たちだと、本番に向けて準備したことは、出来るだけ本番で出し切りたいと考えませんか?そのことを古舘氏は「準備の奴隷」と表現し、かつては自身もそうだったと語っています。
しかし、今の古舘氏は本番の空気に従うそう。想定外のハプニングが起こっても、これまでの準備で得た知識から降りてくる言葉で実況をしたそうです。目の前で起きていることに集中して実況する。用意したフレーズが差し込めそうだったら、そこで差し込む。差し込めなかったら仕方ない。

ここに至るまでに、古舘氏は手痛い失敗をして這い上がってきたといいます。
失敗談を読んでから実況のエピソードを読むと、どれだけの思いで仕事をしていたかが思い知らされます。

また、古舘氏が作成していたメモが本書の中に出てきます。本当に事細かに調べ上げていて、さらにキャッチフレーズや実況例も書かれています。それも全部手書きで。

タイムパフォーマンスが重視されるこの世の中では、古舘氏の方法は嫌がられるかもしれません。しかし、私はそうは思いませんでした。
文章を書くときに、似たような経験があったからです。

私の場合、語彙力や表現力が人より劣っている自覚があります。なので、エンタメに触れたり読書をしたりと、身につけようとしています。
本を読んだからと言って、表現力なんて簡単に身につかないことは重々承知です。それでも心のどこかにとどめて、いつか役立てばと思っていました。
するとある日、記事を書いているときに、ふと、本で読んだ文章術のテクニックを思い出しました。思い出したテクニックに沿って記事を書き上げたところ、たくさんの方からスキを押していただけました。

本を読んでなければ、経験できなかったことです。
その時に私は、「あの本を読んでいてよかった」だけではなく、「ちゃんと知識をつけておいてよかった」と思えました。

これも、準備していたことが報われた一例ですよね。
私の場合は入念な準備というほどではないにしろ、準備してきたことが実を結んだことには違いないと思うのです。似た経験をしたからこそ、この本の内容が説得力を増して私に届きました。

また、この部分が印象的でした。引用します。

何かに向かって必死に準備する。これは自分に無数の傷をつけるということだ。さらには、さんざん準備してもなお、本番でしくじる。当然、ここでも傷つく。だが、全ての傷が自分という素材を磨き上げることにつながっている。
準備とはつまり、自分を追い込み、進んで傷つき、磨き上げていくことにほかならない。

磨くことは無数の傷をつけること。
つまり、自分を磨くためには傷つく必要があるというのです。

私は妙に納得してしまいました。
傷ついた経験も今の私の力になっていると考えると、無駄ではなかったと思うし、私を磨く材料の一つと感じられます。

読んでいるうちに、いつの間にか古舘氏への苦手意識も払しょくされました。

プロとして一目置かれている古舘氏が入念に準備をしているのに、何者でもない私が、準備を怠ってどうする。

用意や準備の大切さがわかるだけでなく、古舘氏の仕事への真剣さが垣間見える1冊です。興味のある方は、ぜひお手に取ってみてください。

最後に。

古舘さん、今まで誤解していてごめんなさい。
あなたは努力を惜しまない、一流のしゃべり屋でした。

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