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路地裏からの叫びを受け取って

※本日の記事は、↓の作品の創作大賞感想文です。

この記事を読みに来てくれたあなたは、きっと「なんのはなしですか」をご存じだと思う。
わからなければ、一度上の記事を読んでほしい。


「なんのはなしですか」の存在を知ったとき、すごく使ってみたいけど、自分にはまだ早いのではと考えていた。
当時私は、noteを始めて2か月ちょっとの、まだ初々しさが抜けないnoterだった。
「なんのはなしです課」通信に取り上げられる方々の、洗練された表現を読む限り、新人noterの私はまだ足元にも及ばないと思っていた。

しかし、通信を読めば読むほど、私は「なんのはなしですか」の魅力に心を掴まれていった。
「やめといたほうがいい」と「使ってみたい」。
両者のせめぎあいは、当初「やめといたほうがいい」が優勢だったが、瞬く間に「使ってみたい」が圧勝した。

そして、勇気を出して投稿した

ちゃんと回収されるかハラハラしていた。
物陰からずっと回収されるか見守っていた。

するとさっそく、コニシ木の子さんから回収の連絡が。

コメントが優しい!!温かい!!
一瞬でコニシ木の子さんのファンになった。

「なんのはなしです課」通信に載ったときは、飛び上がるほど嬉しかった。
丁寧に書かれた紹介部分を何度も読み返し、喜びにふけった。

多少調子に乗った私はその後、不定期で何度も「なんのはなしですか」を使わせてもらった。
そのたびに、確実に回収に来て下さるコニシ木の子さん。
作曲した時もすかさず回収して下さる、フットワークの軽さ。
勝手に信頼関係が構築されたとさえ、思っていた。

しかし今回、コニシ木の子さんの作品を読んだときに、少し反省した。

コニシ木の子さんの「なんのはなしですか」に対する並々ならぬ熱意に対し、私はずいぶんカジュアルに「なんのはなしですか」を使っていたのではないかと。
優しさに甘えすぎたのではないかと。

しかし、コニシ木の子さんの懐は、私の一時の気の迷いを吹っ飛ばすぐらい深かった。

大事なのは、どんなことでも「書きたい」と思ったことを記すことが出来て、投稿することです。そこから先はまた別の話です。書くことに資格などありません。だからこそ「きちんと書け」と言うのなら表現にジャンルは生まれません。

書く前から「書く意味がない」と否定することを納得出来ません。「意味がない」「ワケが分からない」ことがこれだけ面白いと皆思ってくれたからです。

この箇所を読んで、励まされた気がした。
そして、「なんのはなしですか」にハマったことは間違いではなかったと確信した。

これからも私は、路地裏にふらりと立ち寄って、「なんのはなしですか」とつぶやくだろう。
そして、同じように「なんのはなしですか」を楽しむ方たちの記事を楽しむだろう。

一人の大人が本気で、くだらないと思われることに全力で取り組んでみました。どっかで誰かが一緒に楽しんでくれてたらと思います。

私もくだらないことに全力を注ぐのが大好きなので、これからもとことんついていきたい。

#なんのはなしですか

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