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メイクをするのは、何のため?


先日、note界隈をふらふらと徘徊していたら、こんな素敵な記事に出会った。


何のために、誰のために、私たちはメイクをするのか。

多くの人が一度はぶつかる疑問かもしれない。



自分自身を振り返ってみると、

高校生までは色付きリップすら禁止されているような学校だったこともあり、

メイクというものに興味も縁もない18年間だった。


そんな人間が、いざ大学に進学するとどうなるかと言えば

「メイクをするのがマナーですよ」と言ういきなりの方向転換に

そもそも何を買って、どうすればいいの!?と大混乱。

まずは身近な母や友人たち、あとはネットや雑誌に助けを求め、

最低限のものを揃えて、見よう見まねでとりあえずやってみる。

そんなメイクデビューだった。懐かしいな。



今はもうすっかり、メイクは毎日のルーティンに組み込まれてしまって

「人はなんでメイクをするんだろう?」と真剣に考える機会はあまりないけれど、

メイクをはじめたばかりの当時は、よく考えていたのを思い出す。



なんとなくしなきゃいけない雰囲気だから。そういうものだから。

そんな義務感からメイクをする人もおそらくいる。

あるいは、そもそもメイクが苦手、メイクのために時間を取られたくない、

きっとそう考える人もいるだろう。

一方で、ただシンプルに、メイクを楽しんでいる人たちもいる。



私自身、最初は義務感から始まったけれど

慣れてくると、意外とメイクをする時間を楽しんでいる自分がいた。



メイクした私は、いつもなら圧倒的に父親似なのに、ちょっと母親にも似ていて、

メイクした私は、いつもなら笑うとすぐに無くなっちゃう目が、ほんの少しパッチリして

メイクした私は、いつもよりも少しだけ、自信があるように見える。


私にとって、メイクは自分のためにするもの。

自分を好きになるための一手段なのだ。



一方で。

「就活メイク」「愛されメイク」「○○ウケが良いメイク」

こういった「誰か」のためのメイクを推す媒体もよく見かける。

(就活といえば忘れられないのは、とある就活ハウツー本に書かれていた

 「女性は手の込んだナチュラルメイクを」の文言。

 …色んな意味で、ちょっと戦慄した。)


時には、「誰か」のためのメイクも必要かもしれない。

あるいは、誰かのためにしたメイクが、結果的に自分に自信をくれるかもしれない。


でも、私は、「誰かのためのメイク」は、どうしても必要な場面だけにとどめておきたい。


ナチュラルメイクだけじゃなくて、はっきりした濃いメイクを楽しんだっていい。

時には、ブラウンやピンクを外れて好きな色で遊んでみたっていい。

キラキラを超えて、ギラギラしてたっていい。


普段は、「メイクをしている自分、いつもよりもいいじゃん!」って、

鏡を見たときに笑顔になれる、そんなメイクをしていたいのだ。

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