セクシュアリティとジェンダー【二度ジェン】

昨日は「セックスとジェンダー」で書きましたけど、やっぱり毎日書くのはきつい。
週イチ目標にします。

セクシュアリティとジェンダー

セクシュアリティについて説明する前に、まずはジェンダーと性別の関わりについて話します。

いかなる人間の社会においても、性別カテゴリーは必ずしも「男女」の二つであるとは限りません。例えば、インドの「ヒジュラ」やハワイの「マフ」、北米先住民の「ラマナ」など、世界には男性でも女性でもない性別カテゴリーが存在します。このことから、性別カテゴリーは社会的・文化的に構築されたジェンダーであることが分かります。

他方、現代の社会制度は多くの場合、性別を「男女」の二つに分ける性別二元論を基礎としています。性別二元論は、「人間には女と男の二種類しかいないという認識」(田中2006: 25)であり、それ以外の性のあり方をあらかじめ想定しないイデオロギーです。

性別二元論において、「男」と「女」は単なる性別カテゴリー以上の意味を持っています。それは、「男らしさ」と「女らしさ」という規範的なジェンダー観によって規定された、理想的な「男」と「女」の姿、「男らしい男」と「女らしい女」を表すものです。

しかし、私達は性が豊かな広がりを持つものであることを知っています。それを捉えるのがセクシュアリティです。セクシュアリティとは、人間の性的指向や性的欲望、性的行動など、性に関する様々な側面を包括する概念です。

植村恒一郎は、セクシュアリティを「生きている人間一人一人がもつ性的な欲望、観念、意識」であると定義し、セックスとは区別されるものとして位置づけています。

「セックス」は、すべての有性生殖する生物のオス・メスという次元の規定であり、(中略)我々人間の一人一人の個体差には関わらない。それに対して「セクシュアリティ」は、生きている人間一人一人がもつ性的な欲望、観念、意識である。(中略)有性生殖生物に汎通的な規定であるオス・メスに関わる「セックス」とは異なり、「セクシュアリティ」は何よりも人間学的な「性」概念であり、個体差を大きく許容する概念なのである。

(植村2014: 144)

つまり、セクシュアリティは個人の主観的な経験の領域に属するものであり、画一的なカテゴリーには収まらない多様性を持っているのです。

ここで、「性差」という概念についても触れておきます。性差とは、「事実としての男女の違いを意味する概念」(加藤2017: 67)であり、性別カテゴリー集団間の差異を指します。「男女」の性別カテゴリーが存在する社会においては、異なる性別カテゴリー集団同士が比較されるのです。性差は性別カテゴリー集団の差異と理解しておくと誤解が少ないと思います。

話を戻すと、植村が主張する「セックス」はいわゆる生物学的な「性差」を表している一方で、その性差では説明できない「性」の概念が「セクシュアリティ」と言っているわけです。

このように個体差に注目するセクシュアリティ概念は、しばしば個人の嗜好の問題とみなされがちです。砂川秀樹は、性的指向が「嗜好」と混同されがちであることを指摘しつつ、恋愛感情や性的欲望のあり方がジェンダー規範によって「ノーマル」と「アブノーマル」に区別されていることを問題視しています。

性別は「人を区分するもっとも重要な軸として機能」し、性別の規範に合っているかによって恋愛感情や性的欲望のあり方が「ノーマル(正常)」と「アブノーマル(異常)」に区別される。

(砂川2018: 50-53)

そのジェンダー規範こそが性別二元論が規定する「男らしい男」と「女らしい女」であり、そのヒエラルキーにおいては一人ひとりのセクシュアリティが「ノーマル」と「アブノーマル」に区別され、序列づけられるのです。

このように、セクシュアリティとジェンダーは性別二元論のおけるジェンダー規範を媒介として切り離すことのできない関係にあります。セクシュアリティの多様性を認め、一人ひとりのセクシュアリティを尊重するためには、ジェンダー規範のあり方を問い直すことが不可欠なのです。

批判的検討

批判1: セクシュアリティをジェンダーに還元することは、セクシュアリティの複雑さを見落とすことにつながるのでは?

確かに、セクシュアリティをジェンダーに単純に還元することは適切ではありません。セクシュアリティは個人の主観的な経験の領域に属するものであり、画一的なカテゴリーには収まらない複雑さを持っています。しかし、だからといってセクシュアリティとジェンダーの関係性を無視することはできません。私たちのセクシュアリティのあり方は、社会的なジェンダー規範と密接に関わっているからです。セクシュアリティの複雑さを理解するためには、ジェンダーとの関係性を丁寧に考察することが必要不可欠なのです。

批判2: セクシュアリティ概念は性別二元論における「男らしい男」「女らしい女」を排除するのでは?

性別二元論をふまえてセクシュアリティ概念を登場させたので、性別二元論における「男らしい男」「女らしい女」が排除されたような印象を持たせてしまったかもしれません。しかし、それはむしろ逆で、それらを多様な性のあり方の中に位置づけ、相対化する役割を果たします。セクシュアリティ概念は、性別二元論が前提とする画一的な「男」と「女」の姿を問い直し、より多様な性のあり方を認めるための視点を提供するのです。つまり、セクシュアリティ概念は、性別二元論を乗り越えるための重要な概念装置なのです。

批判3: ジェンダー規範を問い直すことは、社会秩序を脅かすことにつながるのでは?

ジェンダー規範を問い直すことは、既存の社会秩序に変革をもたらす可能性を持っています。しかし、それは社会秩序を「脅かす」というよりも、よりよい社会を創造するための試みと考えてみてはいかがでしょうか。しばしば、性別二元論を前提とした社会のしくみを前に、そこから排除されるセクシュアリティを持つ人々は抑圧を経験します。このような性別二元論を下支えしているジェンダー規範を維持することは、社会にとって決して望ましいものではありません。ジェンダー規範のあり方を問い直すことは、一人ひとりが自分らしく生きられる社会を実現するための第一歩なのです。

以上のように、セクシュアリティとジェンダーの関係性をめぐる批判に対して反論を試みました。セクシュアリティとジェンダーは密接に関連しており、切り離して考えることはできません。セクシュアリティの多様性を尊重し、一人ひとりが自分らしく生きられる社会を実現するためには、ジェンダー規範のあり方を問い直すことが不可欠なのです。

おわりに

セクシュアリティを説明するために、先に人間社会に存在する性別カテゴリーと性別二元論の違いを検討し、性のあり方を描き出す道具としてセクシュアリティを位置づけました。また、セックスとの対比において性差(性別カテゴリー集団の差異)についても触れました。また、ジェンダー規範との関わりが不可分であることを説明しました。

参考文献

植村恒一郎. 2014. 「「ジェンダー化されたセクシュアリティ」について ― あるいは「セクシュアリティのジェンダー化」とは ―」『群馬県立女子大学紀要』 35: 143-153.

砂川秀樹. 2018. 『カミングアウト』朝日新聞出版.

田中玲. 2006. 『トランスジェンダー・フェミニズム』インパクト出版会.

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