私の「シェーンの誤謬」 その1
こんにちは、すんどめパターソンです。
Facebookの「シェーンの誤謬」ページに掲載中の記事をこちらに転記しますが、今日はその中の、【私の「シェーンの誤謬」 その1】です。
なにぶんFacebookタイムライン中の記事ですので、用語・体裁等、その仕様になっておりますことをご了承下さい。
【私の「シェーンの誤謬」 その1】
人々の記憶の中で物語が変質していく現象。えてして、物語がより合理化され、つじつまが合っていく傾向にある。
これが、不思議な現象「シェーンの誤謬」の現段階での定義でした。
これに該当する、または該当するかも知れないみなさんの体験をたくさんお寄せ頂きたいわけですが、それに先立ち、私自身の「シェーンの誤謬」体験を少しずつご紹介していきたいと思います。
今回は、その1つ目です。
この稿を読む前に、本タイムラインの一番下、当ページ最初の投稿である2018年6月27日の記事をまだ読んでいない方は、ぜひとも先にお読み下さい。
そのときの記事で詳しく書きましたように、映画『シェーン』(1953年、米)に出て来る少年の父親は、最初から最後まで元気で、決して途中で死んだり、いなくなったりしません。
したがって、彼の奥さん(少年の母親)は、もちろん未亡人じゃありませんし、途中で未亡人になったりもしません。
ところが、私が幼いころに『シェーン』を観た記憶では、なんと、あの父親は物語の中盤、敵対する人々の手にかかって、死にます!
私の記憶の中では、あの父親は死ぬんです。
友を殺され、怒りに燃えるシェーン。
自分がひそかに恋する未亡人(となってしまった例の奥さん)のために、悪者たちをやっつけて親友の仇をとり、少年に惜しまれながら、シェーンはひとり去っていく――
こういう記憶を、私は今も頭の中に、確実に持っているのです。
つまり、6月27日の記事でお尋ねした質問4の、選択肢(2)にあてはまるのが私です。
ずっと後になってからもう一度『シェーン』を観て、あの父親が最初から最後まで健在なのを知り、本当に腰を抜かすぐらいびっくりしたものです。
これはいったいどういうわけでしょうか。
私は、死んでもいないひとりの主要な登場人物を、自分の記憶の中で、勝手に、殺していたのです。
これが私にとっての、シェーンの誤謬その1です。
他にも類似の不思議な記憶違いをいくつかしていますから、またの機会にご紹介させて下さい。
みなさんの「シェーンの誤謬」、お待ちしています。
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