見出し画像

漫画みたいな毎日。「子どもたちは、母を感じている。」

ものすごく私事ですが、昨日、誕生日を迎えました。

我が家では、「誕生日の人が、好きなものを皆で食べに行く」というのが、なんとなくの恒例となっており、長男は迷わずお寿司、二男はインドカレーかビュッフェ、末娘はビュッフェレストラン、などの選択をしています。

「お母さんの好きなところでいいんだよ!」と子どもたち、皆が言ってくれるのですが、ついつい、「子どもたちが満足する所」を選んでしまいます。個人的に食べたいとなると、「懐石料理」とか「イタリアンのコース」とかがいいなぁ・・・と頭をよぎるものの、家族で行くとなると、「みんなが楽しめるところ」を優先することになります。

無理やり、懐石料理やイタリアンレストランに行っても、「足りない」だの「もう帰りたい」だの言われたら、結局ゆっくりと味わえないので、お互いにストレスになる可能性が高い。「今の選択」として、「みんなで楽しめるところ」が、結果的に母にとっても、楽しく、気兼ねしないで過ごせるということになるのだと思います。

そんなことで、末娘が、「お母さんの誕生日は、またビュッフェに行こうよ。あと、温泉ね。」

ははぁ。それは、あなたが行きたい所ですね・・・。と思いつつ、一番小さい人が楽しめる場所が、間違いなく、皆がストレスになりくいと思うので、ハイ、そのようにいたしましょう。と、決定。

お昼にビュッフェレストランを予約し、お腹いっぱい堪能し、帰宅しました。

「もう、夜ご飯もいらない~」と男子たちも言うくらい、お腹は満足した様で、母は、夕飯の支度をしないで済むので、ちょっと楽です。デザートに果物やゼリーなどをちょっと食べて終了です。

すると、子どもたちが、何やら包みを持ってやってきました。

「お母さん、お誕生日おめでとう!」

包みを開いてみると、

イラスト用のカラーペン。これは、夫のセレクトです。

画像1


絵や簡単なイラストやらを子どもたちと書いたり、メッセージカードを書く時に、イラストマーカーを使ってみたいなぁ、と常々思っていました。

趣味の範囲なので、高価なものでなくても十分だし、一番好きなペンは、「筆まかせ」という筆ペンタイプのペン。これで文字や絵を書くのが好きなのです。

インスタグラムで、あるイラストレーターさんが、「セリアのイラストペンが使いやすい♪」と書いていて、動画でサラサラっとイラストを描いていて、もちろん、プロだから、なのですが、「お~!」と思い、100円ショップでも、今は優れたものが沢山あるのね、使ってみたいな~と思い、「セリアのイラストペン、描きやすいんだって~。今年の誕生日はそれがいいな。」と話していました。毎年、欲しいものある?と言われても、思いつかず、そんなリクエストをしていました。しかし、わざわざ、文房具メーカーのものを選んでくれたようです。どんなタッチで描けるのか、何に使おうかな~と楽しみです。

二男からの包みを開けると・・・・

スピッツのアルバム「みっけ」のキャラクターである、ミノムシさんが!

画像2


折り紙でできていますが、手が動く。和みます。

さらに、もう一つ、包みがあり・・・

チンアナゴ。

画像3


私が水族館で「チンアナゴってかわいいね~ずっと見ていられるわ~」とつぶやいたのを覚えていたのです。二男の作ってくれたチンアナゴ、笑ってる。二男に似ている。作った人に似たりすること、あるよね。

そして、

招きネコラーソン。

画像4


リサ・ラーソンさんのマイキーという猫のモチーフが好きです。子どもたちは、その猫を「ネコラーソン」と呼んでいるのですが、その「招き猫バージョン」だそう。招福。

他にも、アイロンビーズの西瓜とウニ。クジラの紙粘土。

いずれも、私が好きなものばかり。子どもたちは、私が思っている以上に私のことを色々見ていて、感じているのだなぁ・・・。

私の父は既に他界しているのですが、父が亡くなった時、生前の父とのやりとりや、一緒に生活していた時間を思い出しても、「父の好きなもの」というのが、あまり思い浮かばなかったのです。しいていえば、「野球とビール」。

思い出せないのは、「何が好きか」という、物のことばかりではなく、父がどんなことに、心を動かされ、何を好み、どのように時間を過ごすことが好きなのか、どんな思考をしていたのかを、殆ど知らない自分に気が付き、驚いたのです。

そのような関係しか築くことが出来なかったのだ、と改めて感じたのです。その事実は、とても寂しいものでした。

プレゼントを眺めながら、私が死んだ後、子どもたちが「お母さんって、ウニ、好きだったよね。」とか「西瓜ばっかり食べてたよね~。」とか、「うちでかかる音楽はスピッツばっかりだったよね!」とか、「お母さんは、怒っても、すぐ笑っちゃってたよね。」とか、私にまつわる漫画みたいなエピソードを、遺された家族が、美味しい物を食べたり、お酒でも酌み交わしながら、笑い話として話してくれたら、いいなぁ。

「お母さんってこんな感じ」「お父さんなら、こんな風に言うだろうね」と感じるようなやりとりの積み重ねを、子どもたちと日々の中で交わしていくことは、いつか、私や夫が生涯を終えた後に、もし、寂しさを感じるとしても、〈虚しさを伴う寂しさ〉とは違う寂しさとなるような気がしています。

末娘を妊娠した時にお世話になった、発展途上国の産科医療にも携わっていらした非常勤の産婦人科医師に「自然妊娠ですか?」と聞かれ、特に考えもなく、ハイ、そうです、と答えると、「40歳超えての自然妊娠をした人は100歳以上生きる可能性が高いんですよ~。世界的な統計でもね。」と言われたことがありました。

100歳超えか。全く想像のつかない世界です。

100歳の私の目には、世界はどんな風に映るのだろう。

せっかくだから、108歳まで生きて、ひとつ歳をとる毎に、「煩悩の数」も減っていけば、それはそれで面白いかもしれない。

なんにしてもここまで、ほぼ元気にやってこれたこと、ありがたいです。

そんなことを思った誕生日でした。

画像5





学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!