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漫画みたいな毎日「コロッケと私。」

コロッケ。

ものまねのコロッケ氏ではなく、食べるほうのコロッケである。

コロッケ氏は昨年、自身でプロデュースした「コロッケのころっけ家」をオープンしたのだそうだ。そういった世の中の情報に疎いので、まったく知らなかった。

コロッケと私、と書き始めたものの、特にコロッケに対する強い思い入れはないのだが、昨日、人生初・コロッケを手作りしたので、コロッケに纏わることを書いてみようと思う。

コロッケ。

私にとっては、コロッケは外で食べるもの、であった。

幼少期は、母親が料理に興味のない人であることもあって、家でコロッケを揚げてもらった記憶がない。揚げ物であることは勿論、コロッケの中身を作る過程も彼女にしてみれば、気が遠くなるくらい面倒だったに違いない。しかし、天ぷらは時々食卓に上ったので、何が違いだったのかといえば、母が好きか嫌いかという基準だけだった気がしている。

下町育ちの私の住む場所には、近所に商店街があり、そこへ行けば、お肉屋さんで、いつだって揚げたてサクサクの美味しいコロッケを自分のお小遣いで足りるくらいの値段で買うことができた。だから、母がコロッケを揚げないという事実に疑問をもつこともなかったのだろう。

私のお気に入りは、中に薄いハムが入っているハムカツと、本物のカニは入っていないであろうカニクリームコロッケだった。その次に好きなのはコーンコロッケ。時々メンチカツ。

私が小学生で、まだ土曜日に学校の授業があった時代には、土曜日は給食がなく、お昼前で授業が終わるので、お腹を減らして家へ帰ることになる。

お昼の支度が面倒な母に、お札を渡され、「これで何かお昼のおかずを買ってきていいよ。」と言われるのだ。料理が好きでない母のおかげで?好きなものを買うことができるのが土曜日だった。

お肉屋さん以外にも、「大阪寿司」と看板の出ている海苔巻き屋さんに行くこともあった。

海苔巻き屋さんは、ご夫婦で営まれていて、私がお使いに行くと「けいちゃん、これもっていきなね。」と、おそらくご主人がパチンコの景品でもらってきたであろうお菓子をつけてくれるのだった。それも私の密かな楽しみであった。

いや、書きたいのは、コロッケのことである。

お肉屋さんに行く際の、イカ好きの母の注文はイカフライ一択であった。時々、夕飯のおかずにとんかつを買うこともあった。しかし、塊肉の苦手な子どもだった私は、とんかつ以外の揚げ物を買ってもらうのだった。

お肉屋さんのコロッケは、いつだって揚げたて、カリカリで美味しかった。
ラードの為せる技なのだろうか。
店員さんは、注文すると既に揚げてあるものをサッと揚げ直してくれる。
お小遣いでおやつとして買いに行くときは、お店の人が食べやすいようにコロッケを小さな油紙の袋に入れて手渡してくれる。
ハムカツやコロッケは50円、クリームコロッケは40円だったと記憶している。昭和価格である。

商店街には、コロッケを売っているお肉屋さんの他にも、おでん屋さん、焼き鳥屋さんの屋台もあり、甘いものが苦手な子どもだった私にとって小腹を満たすには最高のラインナップであった。

一人暮らしを始めてからも、幸運?にも近所に美味しい揚げ物を出している洋食屋さんがあり、電話で注文しておけば、揚げたてのコロッケやチキンカツを用意してくれるのだった。

一人暮らしの私に、コロッケを揚げる理由はなかった。
プロに揚げてもらった方が間違いなく美味しいに決まっている。
そう思っていた。

昨夜、「家でコロッケを揚げてもらったことがない。ついでに、自分で作ったこともない。」と夫に打ち明けると、夫は少なからず驚いた表情をする。でも、なるべく驚かない様にしているのがわかる。私の育った環境と母のことをよく知っているので、驚くと私がちょっぴり傷付くことを今までの経験から知っているからだ。

夫の母親は料理が好きな人だ。なんでも家で作るので、夫は大人になるまで、殆ど外食をしたことがなかったそうだ。ジャムも手作り、もちろんコロッケも手作り。

夫の育った環境は、あらゆる意味で、私の育った環境と対局にある。
夫が私と結婚したことは異文化交流そのものである。よく夫は私を選んだなぁ・・・と今でも不思議に思うことが多々ある。

長年お世話になっていたホームドクターからは、「ご主人があなたと結婚したことは、最大の反抗期ですね。」と言われたことがある。

ははは。鬼嫁ですからね。

またコロッケから話が逸脱してしまったが、コロッケに話を戻そうと思う。

コロッケ。

私が保育園に勤めていた頃、お世話になっていたパートさんがいた。名前を深谷さんとしておこう。やや、おばあちゃんに近い年齢の方であったが、ユーモアに溢れ、子どもたちを可愛がってくれる方で、私はその方を信頼していた。

深谷さんの家には、タクシー運転手の旦那さんと二人の娘さん、息子さんが一人いた。娘さんの一人は結婚していて、その旦那さんも同居していた。6人家族である。深谷さんはお昼には、保育園以外の仕事をしていた。飲食店のランチタイムのホール係だ。そしてランチタイムが終わると保育園にやってきて18時過ぎまで仕事をする。

「今日の夕飯は何ですか?」と私は毎日、飽きずに深谷さんに尋ねる。
「餃子かな。」「う~ん、ハンバーグだね。旦那が好きなのよ!」と深谷さんの家の夕飯のメニューを聞いては、私は自分の夕飯の参考にした。とは言っても、気ままな一人暮らしであったので、帰りにデパ地下やスーパーのお惣菜コーナーで買って帰るのが定番であった。

深谷さんの夕飯のメニューの話で特に好きなのが、「コロッケ」の話だった。

コロッケの日は一度に200個位作って冷凍するのだそうだ。

「だからね、先生、忙しいのよ!コロッケの日は!」

チャキチャキと話し動く深谷さんは、下町のお母さんという雰囲気で、でもあたたかい匂いがした。自身の娘さんよりも若いであろう私を「先生!先生!」と気遣ってくれるのだった。

深谷さんの実家の話を聞いたことがある。

彼女の実家は美容室で、お弟子さん達がたくさん下宿しており、深谷さんは、常に人が、たくさん出入りする中で生活してきたのだそうだ。「だから、人がいっぱい居ても気にならないのよ!」そういって、笑うのだった。深谷さんには多いうちに入らないらしい、6人家族の賑やかさが落ちつくのだそうだ。家族に加えて子どもたちの彼や彼女も頻繁に顔を出して夕飯を共にすることもあるようだった。

「だから、コロッケもたくさん作るのよ!先生!」

忙しそうだけど、楽しそうに話してくれる深谷さんのコロッケの話が好きだった。

私の人生初コロッケ作りは、前日のポテトサラダがたくさん余ったことがきっかけだった。

なんとなく敷居が高いと感じていたコロッケ。

でも、やってみよう。

ポテトサラダには、とうもろこしとグリーンピースが入っていた。

そこに炒めた玉葱と鶏挽き肉と畑で採れたズッキーニを入れた。

小麦粉が苦手な長男に対応すべく、小麦粉ではなく、片栗粉をまぶし、卵をくぐらせ、仕上げは高野豆腐を細かく砕いたパン粉風だ。

コロッケと遠くなってきた気がしないではないが、大目に見て欲しい。

具が柔らかく、思ったようにまとまらない。

何故?

「じゃがいもの捏ね方が足りないんじゃない?」

仕事から帰宅後、お風呂に入ろうと洋服を途中まで脱ぎ、Tシャツ姿で、コロッケを揚げる係をかってでてくれた夫が言う。

捏ねる?

そうか。木べらで混ぜるだけでは不十分だったのか。
しかし、時既に遅し。

「今回はこのまま行きます。」

そう宣言すると、夫は苦笑いしつつ、「まあ、それしか、ないもんね。味は美味しいに違いないから大丈夫でしょ。あ、崩れた!」と、奮闘しながら、形も大きさもバラバラで不格好なコロッケたちを綺麗なきつね色に揚げてくれた。

こうして、不格好なコロッケが大量に出来上がった。

人生初の私の作ったコロッケ。

揚げたのは夫だが。
 
「美味しい!!!」

きっと余るに違いないと思っていた大量のコロッケは、大量のキャベツの千切りと共に、みるみるうちに子どもたちのお腹に納まり、ひとつも残らなかった。

自分でいうのも何だが、形は不格好でも、味は美味しかった。

深谷さんの家でも、こうして家族が次々にコロッケをたいらげるのだろう。そしてその様子を深谷さんは、笑いながら眺めるのだろう。

深谷さんは、家族のそんな様子が見たくて毎日ご飯をたくさん作るのだろう。

翌日である今日。

子どもたちが台所で叫ぶ。

「お母さ〜ん!昨日のコロッケある?!」

え?!あなたたち、昨日、全部食べたよ?!

また作るね。次はもっと手際よく、もっと美味しく、ね。

深谷さんは、今もコロッケ作っているだろうか。さらに家族が増えて、お孫さんと一緒に作っているかもしれない。

「コロッケはね、たくさん作るから、忙しいのよ!先生!」

コロッケを食べながら、そう言って笑い、私の肩をポンポンと叩く、深谷さんの笑顔を思い出していた。






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やなぎだけいこ
学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!