漫画みたいな毎日。「なんでもないことをつらつらと。〈休む〉」
「休む、ということ。」
世の中はゴールデンウィークだ。長いお休みの方は10連休だろうか。
そんな話を子どもたちにしたところ、「いいなぁ!10連休!」という声が返ってきたけれど、そもそも君たちは毎日が夏休みみたいな気もするが、と心の中で思う。
しかし、これが不思議なもので、学校に行かない選択をしていても、学校が休みだと聞くと、子どもたちは、「やった~!」と言うのだ。私は再び、え、君たちは、毎日お休みみたいなものでしょ、と思う反面、その気持ちなんとなくわかる気がする。コロナ禍で様々な都市がロックダウンし、街が静まり返り、学校も幼稚園も、会社も、休みになったり、リモートワークになった・・・社会全体がトーンダウンした空気に包まれた際に、心置きなく休んだよ、本当にゆっくりできたの、という声を耳にしたことがあった。
行っていても、行っていなくても、働いていても、働いていなくても、「全体が動いていない」ということが、自分も動いていないことへの安心感があるのだろうか。逆にいえば、自分だけ休むことの罪悪感があるのだろうかと思う。これは、日本という国で育ったからそう感じるのかな。サボっては行けない、休んではいけない。そういった概念が刷り込まれている気がした。だから、〈みんなが休み〉だと自分も休んでいても罪悪感がないのだろうか?などと考える。
私にも多かれ少なかれ、そういった意識が刷り込まれている部分があり、だらだらしていると親に嫌味のひとつも言われるので、だらだらのんびりゆっくり休むのが得意ではなくなってしまった。しかし、子どもたちは、だらだらのんびりの達人たちだ。夕飯のあとに、人を駄目にするクッションにふわりと腰を下ろして、漫画を読みながら、ケラケラと声を立てて笑っているのを見ると、あぁ、いいなぁと和む。存分に「なんにもしない」をして欲しいと思う。「退屈~!」「やることない~!」という子どもたちにいつもこう返す。「退屈を存分に味わえばいいよ。いいねぇ、退屈!」
休むから、動ける。
動いたら、休む。
休むということを考えることなく休めるといいなと思う私は、そんなことを考えている時点で、明らかに休み下手なのだろう。
なんにもしない、をしよう。