今さら村上春樹をどこから読むか。風の歌を聴け、再読。

読書感想文は苦手だった。読書が、苦手なわけではない。むしろ好きな部類だ。ファンタジー小説を読んで冒険するのも、私小説を読んでその人の人生に入り込んだり、「じーさんの話」をきいてる気分になるのも、時代小説で江戸時代にタイムスリップするのも、はたまた「なろう」で異世界に行くのも、好きだ。

 だけど、感想文となると話が違う。「好きだ」じゃだめだし、「面白かった」でもだめ。「●●の××が、、」的なことを書くのはどうも苦手だ。(きっとそういう読書好きな人は多いんじゃなかろうか)じゃあ、文学批評。結構難しいよね。そういえば、大学の文学批評の授業で、なぜかほぼ全員がマグリット・デュラスの「愛人」かトルーマン・カポーティの「ティファニーで朝食を」を取り上げてフランス文学の先生が切れていたことを思い出す。どっちもいい小説じゃないか。ちょっとオリーブ少女っぽいセレクトではあるが。どんな批評をしていたのか、自分の発表も人の発表もきれいさっぱり覚えてないところを見ると、先生が切れたのも仕方ないのかもしれないが。

そんなわけで、村上春樹の「風の歌を聴け」の「#読書感想文」である。

風の歌を聴け (講談社文庫) 村上 春樹  

1979年7月初版発行の、村上春樹のデビュー作。たしか、群像新人賞受賞。「ぼく」と「羊」のひと夏の話が、乾いたアメリカ文学調で紡がれる。内容について、ここで触れるのは野暮というものだと思う。そう、読書感想文がいちばんダメなのは「面白かった」「心に残った」ところをネタばらししないと成立しないところ。批評?あれはもっとひどい。例えば、この小説を開設するのに、デレク・ハートフィールド作品にふれずに、どうやって話せばいい?いまや彼の作品はどこでも読めないし、その魅力を語るには確かにこの小説(風の歌を聴け)の小説構造を考えなければいけないけれど、そうやったところでこの小説の夏から、逃れることはできないのだと、そう思ってしまう。

では、風の歌を聴け、はどういう小説なのか。一言でいうと、何もない夏が、何かありそうに「また」終わっていくこと、その描写に尽きる。羊との会話や、ぼくの行動は「意味がありそうでない」ものに終始するし、「何か」が、「何かのまま」すぎていくこと、その漠然とした不安の空気がこの小説のすべてなのではないか。

もし、あなたがこの駄文を読んで小説を手に取ってみようと思ったのであれば、我慢して最後の、小説の本筋と関係あるようなないような長文の「おしゃべり」を読んでほしい。なぜなら僕がこの小説を読む理由があるとしたら、そこのおしゃべりがこの小説のすべてだと思っているから。

さて、1000文字を超えたことだし、次の話は次にとっておこかな。

気が向いたら「夏の名前」と「風の歌を聴け」について書いてみようと思う。



#読書感想文 #村上春樹 #夏の名前 #ARASHIC

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