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見上げる者

 私には誰かに見せられるような身体を持ち合わせてはいない。

 なにかの特技で誰かを楽しませることもできない。

 なにか秀でたものがあるわけでもない。


 私は誰よりも劣っている。

 だが、それ故に、誰よりも上を見つめることができる。



 底辺から、ずっと上の人たちを見続けてきた。

 それはどうしても届かない光の当たる世界。

 目が痛いと感じるほど、見つめることができない世界。


 嫉妬を抱くほどに心が悔しがる。

 そして、届くことはないのだと諦める自分がいる。


 なぜなら、見上げても追いかけても、それを超えることはできないから。

 彼らは自分の道を見つけただけに過ぎないから。

 見ている上は、誰かが行った道。

 それは私の道ではない。


 私は彼らではない。

 彼らは私ではない。


 誰かのあとを追いかけるのは、決して前に出ることのない行為。


 私は私でしかないのだから。

 当たり前と言えば当たり前の話。


 でも、そんな当たり前のことも、すぐに忘れてしまう。


 この世界は欲にまみれているから、自分を見失いやすい。


 見失っては、失敗した時に原点へと戻ってくる。



 そう、人はいつも気が付くのが遅い。

 気を付けても、注意しても、どうあがいても、

 どこかで失敗をする。

 どこかで躓く。


 必ず成功する者なんていない。

 試行錯誤して、努力をして、

 ようやく失敗の数を減らせることができる。


 誰かのあとを追いかけることは愚かなのに、

 独りで突き進めば失敗をしやすい。

 この世界は生きにくい。



 この世界は、どうしても人に試練を与えたいらしい。

 優秀な者を、この世界は求めている?


 いや、それなら元から優秀な人だけを集めればいい。

 それだけじゃ、この世界は満足しない。

 この世界は嫌な性格をしているから。


 優秀な者はただ称賛する。

 そして、劣っている者が頑張っている姿を見て応援する。

 そこに手を差し伸べることはない。


 這い上がってくるのか、そのまま地に伏せるのか。

 世界はただ、その様子を観客のように見つめるだけ。

 



「準備は出来たかい?」

 三日月のようにゆがんだ笑みを浮かべた世界が言う。


 私は思う。

 ああ、遠目で見た地球としての存在は綺麗なのに、

 中身は熱くゆがんだ溶岩で満ちている。

 内包された悪が、世界の根底に眠っている。


 人間も地球も腹黒い。

 でも、それが人間らしさとも言われる。

 泥臭いほうが良いと言う。

 でも、それは善が先になければ成り立たない。



 自然体が受け入れられるのは、

 自然体を持つ者と、自然体を保てない者。

 持たざる者は持つ者を羨んでしまう。


 まっすぐに生きれば砕かれて、

 諦めればどこにも行けない。

 強くない者はその場で足踏みをするしかできない。

 手を差し伸べる者は今はまだ少ない。



「やっぱり、ここは歪んでいる」

 私はそう呟いて、地の底の壁を叩きつけた――――――

人を変えることはできないけれど、誰かの心に刺さるように、私はこれからも続けていきます。いつかこの道で前に進めるように。(_ _)