時々、無性に消えたくなることがある(駄文につき話の流れが曖昧かもしれません)
働いている時とか、独りで考え事をしていたりすると、不意に、
「あれ、なんで生きているんだろう」
ってなることがあるんです。
別にこんな内容はありふれたもので、どこで誰がどうしていようと、周囲には何の関係もないわけで。これはただの戯れ言でしかなくて。
でも、そう思うと、余計に自分が生きている理由が分からなくなるんです。
一方的な苦しみを与えてくる世界が鬱陶しくて、無駄な反骨精神が働いて「片方だけが苦しむのは不平等だ」と考えて生きてきました。
でも、よくよく考えれば、悲鳴をあげ続けているのは世界・地球の方で。
その元凶の一端を担っているのが自分という存在なわけで。
世界にとっては、人類というものが、人間でいう所のウイルスなわけで、この消えたくなる感情は薬のようなものなのかもしれない。
地球が打った鎮静剤、抗うつ剤のようなまのかもしれない。
今のところ、生きることへの意味が感じられない。
働いて、金を稼いで、貯めて、老後のためにと時間を消費する。
低所得者の道をせっせと歩いていく。
ネットやテレビでは、成功した人たちが出回って、余計に自分への皮肉が溜まっていく。
つまらない、楽しくないと、弱音のような愚痴を吐いては、社会を蔑んで生きていく。
つまらない人間なのは私のほうで、楽しくないと強がっているのも知っている。
なら、心の底から楽しんで生きてみればいい。なんて。
ひねくれた私にはできない芸当なのですよ。
肩身の狭い生き方を選んで、差し障りのない道を選んで、リスクを考えて安全な道を選んで、そうして今の自分が出来上がりました。
後悔はしていない。と書いた時点で後悔していますよね……なんて。
でも、それでいい。それがいい。
見て見ぬふりをするのは得意だから。
嫌なことも、苦しいことも、耐えればなんとかなるんだから。
その時間が過ぎればどうにでもなる。
どうにもならないことは、その前に手を打てばいい。
危機回避は大切なことだから。
今は28歳……。七年前に自分で書いた物語では、二年後に私は壊れかける。
どういう壊れ方をするのかも分かっている。そして、苦しんだあとに、救われるような出来事が起こる。
30歳になった時に、私が生きる価値を見いだせていればいいのだけれど、この先がどうなるのかは分からない。
息苦しい世界から解放されたら、その先には何かあるのかなと考えることもある。
でも、解放されたら、そこには多分、何もない。なにもないが広がるだけ。
この世界には多分、価値のあるものなんてなくて、誰かの意識が価値のあるものを産み出しているだけ。
共通認識の価値あるものは無いように思います。
自分の価値、誰かの価値、何かの価値……。
探しても見つけられないこれらのモノは、どこにたどり着けば見つかるのでしょうか……。
人を変えることはできないけれど、誰かの心に刺さるように、私はこれからも続けていきます。いつかこの道で前に進めるように。(_ _)