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世界は砂漠だった

 ぼくがこの世に生を受けた時から、世界は砂漠だった。窓の向こうの風景は昨日も今日も変わらない。白い砂が広がっているだけだ。父と母は、数日おきに、食料と水を調達に出かける。朝早くに家を出て、夕闇が迫り始めた頃に帰ってくる。ぼくは、二人が持ち帰ったわずかな食べ物で食事をする。満腹にはほど遠い量だが、文句など言えない。父と母もほとんど口にせず、大半をぼくがもらっているのだ。心配になって、二人も食べるように言うと、「大人になるとあまり食べなくても大丈夫なんだよ」と笑っている。ぼくは早く大人になって、どこにでも行けるようになり、たくさん食べ物を手に入れ、父と母にどっさり食べさせてあげたかった。
 父と母が子どものころは、森も川もあり、食べ物と水には不自由しなかったそうだ。今は森は消え川も干上がり、残っているのは橋だけらしい。父と母が、食べ物を求めて川向こうに行く時に渡っているという橋を、ぼくは一度も見たことがない。いつ砂嵐が起こるかわからないから、出歩くことは禁じられているのだ。

 父と母が朝早く出かけたある日の昼下がり、家で本を読んでいると、突然ばらばらと音がして、家がすごい勢いで揺れ始めた。驚いて窓の外を見ると、何もかもが灰色のヴェールに覆われ家の門すら見えない。砂嵐だ。何度も経験しているが、こんなにすさまじいものは初めてだった。ようやく収まったのは暗くなってからだった。その日、父と母は帰って来なかった。ぼくは、戸棚の中の非常用の干し肉をかじって飢えをしのいだ。
翌朝、隣の老人が訪ねてきてぼくに教えてくれた。
「砂嵐で橋が壊れ、川が砂で埋まってしまった。お前の両親は向こう岸に取り残され、帰ってこれないようだ」
 ぼくは、老人に橋へ行く経路を教えてくれるよう頼んだ。老人は危険だからと止めたが、食い下がると最後には地図と磁石を持たせてくれた。どっちにしろ、ここにいたところで飢え死にするしかないのだ。

 地図に従ってたどり着いた場所には、何もなかった。橋の残骸らしき木の棒が何本か砂の中から突き出ているだけだった。目をこらすと、向こう岸に数人の人影が見えた。取り残されてしまった人たちだろう。遠く離れているので顔は見分けがつかないがあの中に父と母がいるはずだった。橋がなくても、砂の上を歩いていけばいいのだ。そう考えて積もった砂に一歩踏み出したとたん、膝までめりこんでしまい、歩くことなど到底できない。ぼくは全身の力が抜け、その場にへたりこんで泣き出してしまった。
「なにを泣いているんだ」
 声をかけられ振り向くと若い男が立っていた。わけを話すと男は黙って首を振った。
「橋は壊れて川は砂で埋まってしまった。もともとすごく深い川だ。渡ろうとしても砂に頭まで沈みこんで息ができずに死ぬだけだ。あきらめろ。君はもう両親には会えない」
 ぼくは悲しくて泣きじゃくった。会えないならせめて顔だけでも見たかった。思わず大声で父と母を呼んだが、届くはずもない。男がカバンから何かを取りだしてぼくに渡した。巨大な双眼鏡だった。
 双眼鏡を目に当てると、向こう岸の光景が手に取るように見えた。その瞬間、衝撃のあまりぼくの全身は凍りついた。

 大きな木のテーブルを囲んで人々が座っていた。テーブルには食べ物が山積みになっていて、皆でそれをおいしそうに食べているのだった。父と母の姿はすぐに見つかった。二人はぼくが見たこともない大きな肉塊と色鮮やかな果物を両手に持ってむさぼり食っていた。
「向こう岸はこのあたりで唯一食べ物と水が豊富な地帯だった。だから住民たちは交代で少しづつ持ち帰っていたんだ。砂嵐の時にたまたま向こうにいたあいつらはラッキーだった。もう誰も向こうにはいけないから全部あいつらで独占できるってわけだ。おれも行っておけばよかったよ。そうすればたらふく飯が食えたのに」
 家ではいつも暗く沈み込んでいる両親が、楽しげに笑い合いながら食事をしていた。ぼくは大きく手を振ってみた。二人はこちらを見たが、ぼくだと気づいていないようだ。ぼくと両親を結びつけていたものは、橋と一緒に砂の中に消えてしまったのだろうか。
 ぼくは男に双眼鏡を返し、元来た道を帰った。ぼくがこの世に生を受けた時から、世界は砂漠だった。だから、ぼくはずっとこの砂漠で生きていくしかないのだ。たとえひとりぽっちになろうとも。   (了)

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