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愛とは何ぞ

この1週間の話をすると、とにかく怒涛だった。まず、会社を辞めると上司に申し出たのが全ての始まり。非常にありがたい話でもあるのだが、上半期に全社MVPを頂いたことで良くしてもらっていたこともあって、さまざまな引き留めが結構度を超えていて、憔悴。上司が突然下北沢まで来たのは流石に焦った。

そんなこんなで酒を交えながら話を重ね、いろんな感情の狭間で揺れている間に、本質の辞める辞めない問題から(結果として、円満にちゃんと辞めることになったが)逸れた話に花が咲いてしまって、やっぱりこの人のことを人として嫌いになれない自分がいるなと思ったり。

上司は私が人生であった人の中でもかなり面白い思考をするタイプの人で、民俗学と文化人類学を文学と同じくらい愛している。なんだかよくわからない個人的な統計なんだけど、この手の学問が好きな人ってなぜかみんな話が面白い。人が根本で好きだから相手に合わせる優しさがあるのかな、というのは私の勝手な想像。

辞める辞めるなの真面目な話から、逸れた話が面白いので普通に楽しい飲みになっちゃったりして。で、辞めんの?と真面目に詰めた後に、子どもってすごいよねと突然言い出すから面食らった。上司には2歳の子どもがいるけれど、うまくまだ記号として自分の意思を疎通できないくせに、何を伝えようとしているかがわかる言葉を超えたコミュニケーションを確実に持っている、という話だった。

もちろんそれは大人にもないわけではないが、彼らを守ってくれるものは「まま」と「まんま」なわけで、その2つしか言葉を持たない世界で生きていく生存本能が作り上げたものが、泣く、怒るを含めたボディーランゲージなんだと。私には子どもがいないので本当の意味で100%は理解が及んでいない気もしたが、なんとなくわかった気もする。

そのあと立て続けに、宗教について、死についてとテーマを変えて語っていたんだけど、側から見ると完全に思想のヤバい奴でしかない。でもそうじゃなくて、上司だけでなく自分自身もそこにあるものはなんでも良くて、多分立ち止まって一つのテーマについて考えるのが好きなのかなと思う。平日ど真ん中の水曜日、気づけば夜の3時だった。

面白かったのは「愛について」の話。愛ってなんだと思う?と問われた私は「相手のことを傷つけてでもその人のことを考えてあげられること」と回答したのだが、上司は正解はないけどと前置きをして「代替不能な要素に対して生まれるものを指すんじゃないかな」と話をしていた。

例えば、妻という人物に対してはある種代替可能だけど(離婚ができるという意味で)、仮に離婚した後の新しい奥さんは一緒に過ごした年月も思い出も違うわけで、その替えの聞かない年月や記憶が愛なのだと。だからこそ子どもというのは、自分のDNAが入っている上に、自分と相手との愛によって生まれ、かつ死んでしまって次の子どもが生まれたとしてもそれは同じ人間とはいえない意味で「代替不能」なんだと熱く語っていた。

ちょっとおじさんのお話スイッチ入っちゃったなと思ったけど(笑)、シンプルにわたしも愛についての思想をアップデートできるくらいもっと広い世界を見たいと改めて思った。

文章がうまいか下手かは結局人間力の高さが表れるから、君はもっと旅をした方がいいよ

最後に言われたこと。上司は一時海外を巡っていたこともあって(元ジャーナリストなので紛争地域とかヤバいところばっかり進められたけど私はヨーロッパとかがいい笑)、旅が好きだ。一方で私は、旅が嫌いなわけじゃないけど、ご存知の通りあまり下北沢から出ない。「ここまで一つの街にこだわれるのもある種すごいけど」と褒めたのか貶されたのかよくわからない言葉をもらって、私がこの場所にこだわる理由も話した(これはまたいつか改めて書こうと思う)。今はまだ夢の途中。夢を叶えたら、私は下北から出ていくつもりだとも話した。ちなみに海外で行くならミコノス島にはずっとずっと憧れがある。


言われた通り、私は旅に出てみた方が良いのかもしれない。海外じゃなくても、数日でも、少しだけ遠くに足を運んでみる。来年のやってみたいことリストに新しい項目が増えた。





2022.10.08
すなくじら

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