わたくしごと、を重ねて生きていく
「わたくしごとではございますが」と言う言葉を耳にする機会が、この1年間でぐっと増えた気がする。
人生のパートナーを見つけた、母となり新しい命との出逢いがあった、ずっとずっと同じ線の上を並行して歩いてきたと思っていた友人や同級生たちの人生はすでにもう分岐をはじめていて、いろんな形のわたくしごとが、リアルでもインターネットでもわたしの視界を横切っていく。丸や四角、三角の形のワタクシゴト。24歳。わたしはもう、少女と呼べる年齢ではない。
それなのに、大人になりきれない子どものまま、横断歩道の向こうへ渡っていく同世代をほんのり残る昨夜のアルコールで霞んだ視界でぼうっと眺めては、赤信号の鮮やかさにどこか安堵感を覚えている。なんせ、渡っちゃダメだよ、は渡らなくて良いよと同義なのだから。青信号。みんなが歩き出してもスニーカーに包まれた足を1歩、コンクリートへと進められない自分を直視するのが怖かった。
--そんなわたしも本日、わたくしごとではございますが、24歳を迎えたわけで。
23歳から24歳への365日は、自分にとって夢を見ているような出来事ばかりだった。
わたしは至極、23歳の自分に憧れを抱いていた。理由は幾つかあるけれど、その最たるものはわたしが10代の時に刺激を受けたおにいさんやおねえさんが23歳だったことが大きいだろう。とにかく、節目の歳でもなんでもないのに、23歳に意味を持たせたかった。
そんなこんなで、今でこそ文章を書く仕事を生業としているが、実は去年の今頃はまだ全く異業種の前職にいた。
なんとかライター職にこぎついて、紆余曲折の末、現在は編集者として働いている。我ながら1年で大躍進したものだなとは思う。しかしそれは、ライター・編集の分野問わずお仕事を下さる方の存在あってのことだし、綺麗事では無く、感謝の気持ちだけは忘れないでいたい。というわけで、24歳のすなくじらも、何卒よろしくお願いいたします。この話はここまで。
ここからは仕事とは少し別の話をしよう。
もともと内向的な性格ゆえに、大人になってから友だちと呼べる存在に出逢えないと思っていた。
ところが不思議なことに、大人になってから出逢う友達の方が、深い話をして心から信頼できる仲になったりもする。もちろん、相変わらず人数は多くないけれど。23歳は特に、そういう大切な人たちに出逢った歳だった。
出逢い方も三者三様で、ネットを通じて出逢うこともあれば、元はお店の客と店員だったケースもあった。それでもある意味ちゃんと「惹かれあって」仲良くなるのだから不思議だと思う。
過去を振り返れば、クラスの中に30人も人がいたのに、クラスの誰とも仲良くなれなかったことだってあった。虐められていた、とかではなかったけれど、ほんとうに嬉しかったことや悲しかったこと、美しいと思ったことを共有したいと思う相手がクラスメイトにいなかった。だからいつも決まって、音を出してしまえば話さずに済む部室でドラマのスティックばかり回している学生だった。
そう考えると、然るべき年齢で然るべきタイミングに必要な人に出逢うように人生はできているのかもしれない。タロットカードには運命の車輪、と言うカードが有るのだが、カードに描かれたスフィンクス、ジャッカル、ヘビはいずれもエジプト神話に出てくる神を表すと言う。良い出来事も悪い出来事も神の力であり、人にできることは何もない--タロットの多くのカード登場する「人」の姿が描かれていないことからもこのカードを見るとそんなメッセージを受け取れるような気がする。スピリチュアルなニュアンスになってしまうかもしれないが、きっとわたしの運命の車輪は、良い形で今もきちんと回り続けている。
良い友だちと出逢うことも、美味しいご飯を食べることも、パートナーと婚姻関係を結ぶことも。結局は他人から見ればすべてはわたくしごと、に終始してしまう話だ。それでいい。メガホンを持って「わたしの話を聞いてくれ!」と叫び回りたいわけでもない。森の奥の古い館を買い取って、物語でも綴りながら暮らせるようになった暁には、大声で触れ回るかもしれないけれど、それはまだまだ先の未来(であり願望)だ。それでも、今年も小さなわたくしごとたちが24歳の自分に降りかかることを願わずにはいられない。あわよくば、それがわたしの愛するものたちに、ほんの少しでもあたたかな光を携えた純度の高い幸福として還元できるような事柄であればいいと心から思う。
横断歩道の向こう側にはまだ行けないけれど、赤信号でも渡りたくなったら走り出す、くらいの気概は持って。集めたわたくしごとを、ひとつずつ、24歳の軋む宝箱にしまおう。
2021.11.05
すなくじら
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