追い風が吹くおもちゃ業界のはなしをお墓市場に落とし込んでみた
まずは、こちらのnoteを読んでもらいたい。
内容は、国内の玩具市場が過去最高になっている理由とおもちゃ市場の分析である。
この分析内容の明晰さに触発されたのと、自身が身を置く業界にも通ずる部分があったので、そこらあたりをまとめてみたい。
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本文中では将来が不安な業界として、「出版業界」「アパレル業界」「音楽業界」など、わりとビッグな業種が挙げられているが、わたしがたずさわる業界はもっと小規模で、だけどかなり昔から存在する「石材業界」だ。
墓石業界
じっさいは「石材業界」という職業区分は存在せず、建設業にふくまれるようだが、ここでは分かりやすくするために「墓石業界」としてすすめていく。
(※玩具とゲームソフトが区分けされているように、ここでは建築石材と墓石は分けて考える。)
まず、現状をひと言でいえば、家族のカタチが変わりつつあるなか、墓石を選ぶ人は年々少なくなっている状況が、ここ十年以上続いている。
ようするに、右肩下がりで、需要が冷え切っている業界なのだ。
こういった市場だが、それでもお墓のなかで一番売れているのが「墓石」であることは変わっていない。
(出典:「いいお墓」が独自に調査した消費者動向)
年々、その数は減少傾向にはあるが、多様な埋葬スタイルが出てきているなか、墓石は何だかんだと健闘しているともいえる。
業界全体として決して明るい状況とはいえないが、それでもお墓の仕事を続けていられるのは、お墓への根強い人気があるおかげだ。
それを支えてきているものは何なのかを考えてみた。
1.全国各地から家族を全員集合させるお盆のちから
お墓は亡き人を供養する場所であるが、それが最大限に生かされる期間がある。
お盆だ。
例年、お盆の帰省ラッシュのニュースが取り沙汰されるが、帰省してまずやることが「墓まいり」という人も多いだろう。
墓まいりそのものは、人類に共通し、その原形はネアンデルタール人にまでさかのぼることができるとも言われるが、日本人にとって一定期間の墓まいりをイベント化したお盆の功績は大きい。
年に一度だけ、先祖があの世から帰ってくるそのときは(※宗派により考え方に違いあり)、日本の家族にとってはお正月並みに大事な期間となった。
お盆時の帰省ラッシュは、いわば民族大移動に近い。こんな動員数を長年誇っているのだから、お盆という文化の力はすごい。
おもちゃ業界にとっての救世主がサンタクロースなら、墓石業界にとってのその人こそ、仏さまなのだ。
おもちゃは「遊ぶ」ためにあるが、お墓は「手を合わせる」ためにある。
逆にいうと、手を合わせる必要性がなくなると無縁墓といわれ、無縁墓がふえていくのはよろしくないとされる。
「無縁墓になる可能性があるから、お墓はいらない」となることこそ業界にとっての大きな痛手であり、まさに現代はそのまっただ中にあるのだ。
お盆ほどの賑わいはないが、お彼岸も墓まいりをする風習がある。お彼岸は春と秋の年に2回あり、日本の墓まいりの三大期間が、春・秋彼岸とお盆だ。
なんとかこのような墓まいり文化をあらたに生み出せないかと、業界も頭をひねってつくったのが「母の日参り」だ。
「母の日」を生きている間だけにとどめず、死後も同様にその感謝を伝える日ということで、業界の垣根をこえて定められた。
この「母の日参り」は、わりと大々的に打ち出されちいることもあり、今後も定着していくと思う。
もちろん、そのための努力として、たんなるアピールだけではない、中身のある発信が必要だとも。
2.石でつくられている
墓石はその名のとおり、石でつくられる。これが木であれば「樹木葬」になるが、樹木葬の歴史は墓石のそれにはおよばない。
石も木も自然の産物であり、道具として利用してきた歴史も同じ。
それでも、石の墓の文化のほうが長いのはなぜだろう。
地球は岩石の星とも呼ばれ、人類と石には長い歴史が横たわる。
硬い石には硬い石を用い、鋭利状にして活用することで木を切ることもできるし、火を起こすこともできる。そして、肉を剥いで食べることができる。
さらには石に文字を刻み「伝える」ことで、大きく発展してきた。
木は根がないと枯れてしまうが、石は切り出しても、ほぼ同じ状態のままで残せる。
そういった長い年月の関わりと、石そのものが地球の歩みを刻んでいる神秘性を持つからか、人々は石に祈りをのせてきた。
墓石というカタチがまだない時代から、石を積み上げて祈りをささげてきた人類。
それは、本能的なものなのかもしれない。
3.他人が一度手を合わせたものを再利用しない
おもちゃがレンタルに不向きであるように、お墓にも再利用という感覚がない。
石に文字が彫られているという理由もあるが、字彫り部分は削って、研磨することも可能なので、それは絶対的な理由とならない。
おもちゃと違って、それほど触るわけではないから、手垢も気にならない。
でも、手を合わせているのだ。
それも、何代にもわたって。
たとえ、比較的新しいものだとしても、そこに誰かの誰かへの哀悼があることには変わりなく、いくら削って磨きなおしたところで、そこに込められた祈りや魂のようなものは残る。
これが次の家族という連続性があれば、墓石リフォームをおこない、再利用することもあるが、何の関係もない他人の墓をレンタルしないし、墓石の中古品が存在しない所以である。
逆に、墓石でないものはレンタル的な使い方ができる。納骨堂で使われる納骨壇は、一定期間が過ぎるとそこから移されて合葬されるので、また新しい人の納骨壇として再利用する。墓石と納骨壇との違いは、お骨の埋葬場所としてのあり方の違いが関係するのだろう。納骨壇はお骨つぼに入ったまま納骨されるが、墓石はそうとは限らず、お骨をそのまま埋葬した上に石を積み上げている感覚があるので、より埋葬されている人の手垢がついた場所としてとらえられている。
4.コピーがきかない
どんどん、おもちゃの理由と同じになっていくが(笑)、3Dプリンターが登場したときは、「これでお墓がつくられてしまうだろう」と思ったものだ。
しかし、その後「3Dプリンターでつくった墓を建てた」という声はまったく聞かない。
おもちゃの場合は、「正規品以外はニセモノ」という概念があるからだと説明されているが、墓石のコピーがきかないのも同じような理由だ。
3Dプリンターでつくられるのは、本物の石ではないからだ。
2.の理由にもつながるが、石は悠久の時間を経てできている。
石の加工はある程度の日数でできるが、石そのものは、地殻変動からの火山活動からのマグマが冷えて岩石になるという、何十万年から何百万年単位の地球の軌跡の産物である。だからこそ価値があるので、3Dプリンターでお手軽にできる墓は墓ではなくて、手元供養とかそういった存在に近くなる。
また、やはりそこは手仕事の世界でもあり、職人技といった技巧も関係してくるので、いくら安くても「3Dプリンターで墓をつくった」といっても自慢にもならないだろう。
5つめを考えたのだが、おもちゃの理由にあたるようなものが思いつかないので、以上の4つが、墓石が廃れずに依然として根強い人気がある理由になるだろうか。
おもちゃ業界は、「憧れ」を必死に作り続けてきたとまとめられている。そして、その憧れが、子供たちみんなの共通言語を作れていたとも。
墓石には「憧れ」はないが、「神秘性」や「聖なる空間」という感覚がある。人によっては「畏れ」に近いものも。
そして、そこに手を合わせてきた時間が加わることで、家族の共通言語を生み出している。
家族の共通言語をつづるための「おはかの手帖」
墓石は、人々が紡いできた歴史や文化に支えられている。しかし、それが未来永劫ずっと続くとは限らない。
だから、墓石の仕事にたずさわる者として、その文化をつないでいくための小さなアクションを起こしてみた。
家族の共通言語を、お墓をとおしてつづっていく「おはかの手帖」の出版である。
今後、おもちゃを取り巻く環境は、ヒット商品に憧れ、それで熱中して遊ぶという、世代を超えた共通の記憶を消していくかもしれない。
家族にも同じ共通の物語があった時代は失われつつあり、個人化していくことは止められない。でも、だからこそ、それはかけがえのないものだということを風化させてはいけない。
記憶は綴ることでよみがえる。
家族がもう一度ひとつになれるのがお墓であり、お墓まいりだと思うから、そのためには共通言語が必要で、それを残していくものが必要だと思う。
墓石が「記憶の装置」として大切にされていくためには、歴史や文化にたよるだけではなく、それらを生み出す気概が必要なのではないだろうか。
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