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痴れ者

通院は苦ではない。通院までの道程が苦なだけだ。
多くの人とすれ違う度に、多くの人が利用する公共交通機関を使う度に、これほどの人間がいるのかと、実感せざるを得なくなる。何を今更、そんなこと関係ない。毎度新鮮にそう思ってしまうのだ。

幸い以前の病院と比べて距離的にも近くなったため、心理的な負荷はかなり下がった。以前は電車を乗り換えながら長距離を通院していた。さながら通勤だ。これから起こることを想像するだけで胃痛がするような、そんな感覚だった。今思うと、よく通えていたと本当に思う。鬱にとってはあらゆる距離が短いほうが良い。


診察時、近況のほか、八方塞がった心境を少しだけ吐露してみた。薬の量が変更された。正直いつものプロセス。加えて、まだ手続きしていないマイナンバーカード取得を促された。役場に行けるものならとっくに行っている、とっとと取得したほうが良いことも知っている。だが、それをさせてくれないのだ、己自身が。

正直げんなりした。なるべく外になんて出たくない。他人と会話なんてしたくない。だが、そこで嫌だなんて言えるわけがない。「分かりました」と、そう当然の返事した。

私の病名は気分変調症、別名ですら持続性抑鬱障害。正確には鬱ではない。
だから自分がどれだけ落ち込もうが、どれだけ無気力になろうが、どれだけ死にたいと願おうが、結局は「抑鬱」の範疇を出ない中途半端な鬱状態。
要は鬱と思い込みたい甘えのそれだと、無気力も希死念慮も勘違いの甘えのそれだと、そうまた自責に浸っている。

だから診察時もあまり心境は吐露できない。吐露したところで、本心の3割も出せない。伝えたところで、結局思い込みの甘えならばと。そう自責して、主治医の前ですら塞ぎ込む。先生の反応を気にしてしまうから。前回、前々回の病院でのトラウマがあるから。

何気ない一言で一気に沈み込んで上昇できなくなるから。だから下手なことを言って下手なことで返されたら、いよいよ戻ってこれなくなる。

正直人と話すということはその繰り返しだ。交わす言葉一つ一つが博打なんだ。だから、こちらから下手なことなんて決して言えない。そう返事することは当然でしかなかった。


『そんな重い鬱状態でしんどいと思う。そんな状態で役場に行くなんてかなりキツイと思うから、調子良さそうなときにでも行ってもらえると後々助かる。』

先生はいつも、歪んだバイアスがかかった私に気づきの言葉をくれる。もしかしたらこれは、普通の人にとっては当たり前の言葉・対応なのかも知れないが、私にとっては貴重な天声だ。

自分は今、「ちゃんと」重い鬱状態なのだと。勘違いでも思い込みでもなく、それはそれと割り切れない状態なのだと。聞いてるかあの日の彼女、メンタルと実生活は十分に繋がっているようだよ。たかが弱ったメンタルだと割り切るなら、いっそその強靭な精神で殺してくれよ。

ここまで書くともはや信仰だ。それでも構わない。何と言われようが、信頼できる人は一人でも多いほうが良い。自分なんて最早信じる信じないの対象ですら無い。




だったら死んでも同じじゃん


ループ、また繰り返しちゃったね。

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