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【9】学校に通っていても通っていなくても、多様な進路の選択肢を残せるか。(不登校からのキャリアデザイン⑨)

※この記事は2019年8月18日に京都市で開催した、イベント「不登校からのキャリアデザイン〜「行かない」の先を、生きやすく。〜」における講演・パネルディスカッションの書き起こし原稿になります。登壇者・主催者のプロフィールはこちら


教科自体の進度にグラデーションをつけることも可能。そういうことが向いている子もいる。

中:授業はN高校と同じように映像を使います。時間割がないので、中学 1 年生の子が小学生の内容に戻ったり、中 1 の子が得意な場合は中 2 の勉強をしたりする、それも構わない。 教科自体の進度にグラデーションをつけることもできます。そういうことが向いている子もいます。

プログラミングもやらせてあげたりします。来年度からプログラミングの授業が学校でも導入されますが、不登校のお父さんお母さんすごく不安ですよね。また学校で新しいことが始まると。それを先に始めさせてあげるんです。プログラミングをやってくださっているのが、DeNAさんとかサイバーエージェントさんです。ゲーム会社さんですから、楽しいですよね。そうなってくると、子どもも、もしかしたら学校に行っていない僕たちの方が学校より進んでいるんじゃないかと。そうなってくれたら、気持ちがだいぶ 前向きになってくれていますよね。

学校の先生とクラスジャパンの担任が、1 ヶ月ごとに進捗のレポートの提出をして情報共有するんです。そうすると、学校が今どこまで進んでいるか、この子がどこまで進んでいる かを提供する。もしこの子が学校に戻りたいなと戻ったとき。学校の授業の理解度をネット担任がわかっていれば、学校はここだからここまで頑張ろうかって言えるわけです。

今だったら、学校の授業に行っても全然遅れてないよとか。1 つの目標値にもなるかなと思うので、だからこそ、学校との連携は必要だと思っています。どんどん自分で勉強するだけでなく、学校の進度を把握しておくというのが子どもの 1 つの勉強するきっかけ、意欲になるかなと思っています。

不登校の問題は、究極的には選択肢の問題

門:その点に関しては、実は半年くらい前ですかね。クラスジャパンとして大きなプレスリリースを出された際。この「教室復帰の機会を図る」という部分の意図がうまく伝わらなくて 一度、炎上しているんです。

「学校に戻すことを目的としたサービスなんて、子どもたちにとって本当にいいのか?」という話が、主に不登校関連の活動をされている方々から疑問が噴出したと。ただ、私は中島さんから直接お話を聞かせていただいた上で、納得しています。要するに、子どもたちにとっての選択肢を閉ざさない。学校に戻ることも選択肢としてあってもいいし、戻らないのも選択肢。ただ、学校の進度とあまりに乖離してしまったり、心理的な距離感が取り返しのつかないほど離れてしまって、戻りたくても戻れなくなるという状態は極力なくしましょうと。

もちろんケースバイケースではありますが。

あとは、出席認定はもちろん、その先の評価、内申につながっていけば、進路選択の可能性も広がる。高校に進学する際に、先ほど話が出たN高校を選んでももちろんいいんだけれど、「N高校しか」選べない。社会から N 高校を「選ばされてしまう」という状況に子ども達を追い込むのは避けたい。公立や私立という選択肢があって、その中にN 高校もあって。その上で自分で N 高校を選びとるのと、社会から選ばさ れて N 高校に行くというのとでは、取っている選択肢が同じであっても、子どもの気持ちが全然違うだろうと。それこそ先ほど出た主体性の話にもつながると思います。自分から選び取ったという感覚。選ぶというのは主体性を発揮する第一歩です。

その選択肢を閉ざさないこと。そこをクラスジャパンとしては目的とされていると僕は捉えています。

不登校の問題というのは、究極的には選択肢の問題。もちろん家で学ぶこと、育つこともできるんだけれど、それによって社会上の選択肢が制限されるというのはあってはいけない、という理念を聞いてすごく納得感がありました。

学校との連携をうまくとるには、親御さん向けのコミュニケーションと学校向けのコミュニケーションを同時にやっていかなければいけない。あまりに学校から切り離された世界観や理念を打ち出すわけにもいかないんですよね。

もちろん、そもそもの義務教育制度や内申も含めた受験制度、もっと言えば日本社会全体の価値観が変わっていかないといけないとは思います。だけど、それを待っていては何年何十年かかるか分からない。そして今、まさに不登校と向き合っているご家庭には何もしてあげられない。だったら、今の制度の中で、実施できる可能な範囲で新しい選択肢を示そうと。

そういうギリギリのグラデーションで、児童生徒の選択肢を広げる活動として、僕は理解しています。

不登校だからこそ、学校と連携することの価値

中:ありがとうございます。学校と連携が必要ないっていうご家庭は結構あるんです。もういいよと。「学校は敵」とおっしゃるお父さんお母さんも結構いらっしゃって、今日学校に文句言ってきたとか。でも、言葉を選ばずに言うと、学校と対峙するというのは子どもにとっては結局はプラスは何もないですよと。

その場で議論で勝ったとしても、子どもの進路に得なことは何もないと僕は思います。だとしたら、腹が立つことは学校に対していっぱいあると思うんですが、その腹立つことを多少抑えてでも学校と連携することが、子どもの将来の一歩になるんだとしたら、そこを抑えられたらいいかなと思います。難しいでしょうけど。だからやっぱり僕は、学校との連携はやっていきたいんですね。

今、言われたように、内申書につくということを目指していきたいなと思います。それが不安の一つを払拭することになるのかなと。いくらでも家庭で学ぶことはできますが、それを学校がきちっと認めるということが、進路に対する不安の払拭の一つになるのではないか。まさに、進路の選択肢を狭めないというのが大人の役割かなと思います。子どもは、学校なんていらない、高校なんて行きたくないと言います。通信でいいよと。でもその子どもの言っていることと、もう一方では、大人は選択肢を持ってあげることは必要です。中 3 になったら突然 気持ちが変わることも子どもはありますから。

僕、高校なんて行きたくないって言っていた子が、中 3 になって突然、「やっぱり高校行こうかな」と。そのときに、「え!あなた高校行かないって言ってたじゃない」ってなっても、もう遅いんです。出席もなければ成績もついていなければ、進路において不利益を被ります。で もそのときに、やっぱり大人はその選択肢、カードを作ってあげることは我々大人の責任かなと思います。

【連載:不登校からのキャリアデザイン】

https://note.com/sunaba_corpo/m/m2f2850979f50

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