寺の母子が遺品の着物をパクる話

手、伸ばしてますか? 

人間以外にも河童とか死者とか海賊とかがよく手を伸ばすわけですが、最近おすすめなのが、遺品の着物の袖から手を伸ばす人の話です。

鳥山石燕の画図百鬼拾遺の中では「小袖の手」として紹介されています。

どうやらこれらは江戸時代中期ごろから結構広まっていった話と思われ、『続向燈吐話』にはじまり、『諸州奇事談』、『怪談御伽猿』、『怪談旅硯』、『嚢塵埃捨録』などに類話が見られます。

水木しげるの『図説日本妖怪大全』や藤沢衛彦が『妖怪画談全集』で紹介した話は『怪談旅硯』のものですね。

より詳細な話を角川の雑誌『怪と幽』の特集「次代の探求者達」に書かせていただきました。

今回はその中で触れることがなかった『怪談御伽猿』をストレートに現代語訳して紹介してみようと思います。


こちらもあわせてお読みください。袖から伸びる手の怪談の系譜が多少味わえるでしょう。

https://note.com/sunaaji/n/n7d42f30ba125


「衣桁の小袖より手を出し招く事」

(『怪談御伽猿』(臥仙著・明和五年[1768])より。底本・古典文庫『近世怪奇談』)

享保の末、江戸築地のあたりに住む奥村氏の妻は昨年の冬、石山家から嫁入りして間もなく、難しい病に伏せりついていた。いまだ16歳であった。

治療や祈祷を尽くしても病状は悪化するばかり、やがて彼女は夫を枕元に呼び話しだした。

「去年の秋、姉を亡くし、私も冬を越せそうにありません。ただ親からもらった小袖もろくに着ることなく死ぬのはあまりに悔しいのです。だからあなた、どうか、あの2つの小袖を私の亡骸の上にかけてくださいね、あなた」

そう言い残して、ひとり帰らぬ旅路に赴いた。きさらぎの末のことであった。

奥村氏は泣く泣く築地の寺に葬り、妻の遺言に従い小袖も重ねて寺に納めた。

かの寺には一人の娘がいた。ちょうど縁談が決まったばかりであった。母と子は美しい小袖が寺におさめられたのをこれ幸いと喜んだ。

その夜、母娘はかの小袖を衣桁にかけ、伽羅をくゆらせ香をとめ、さて、婚礼に向けてこの小袖を如何にこしらえなおそうかと話していた。夜もはやふけわたりつつ、なんとのう物さびしき折、娘がふと衣桁の方を見た時であった。

不思議や、かの小袖の袖口より、雪のごとくしろくか細い手が伸び、母娘を手招くように、ひら、ひらり。

母娘はぎゃっと叫び逃げ出した。昼間になり、住職が小袖を確かめると、なんの変哲も見られなかった。しかし、それでもこの小袖には死んだ人の念が残っていたのだろうと、次の日、早々に売り払ったという。


個人的注目ポイント

全体的にシンプルな話ではあるのですが、やはり遺品の着物を極めてカジュアルにいただいてしまおうとする母娘が面白いです。

そして大事なのが寺の住職も特に供養とか、あるいはお焚き上げとかすることなく「早々に売払ひけるとかや」なんですね。

この遺品の感覚は現代の我々とは全然違うもので、中古市場が生活を支えていた江戸時代の生々しい生活感あるリアリティを感じさせます。たくましいよね。

そしてそれ以上に、この話は僧侶の霊力や怪談を通して仏の教えを説くような、近世初期怪談に多い「唱導」から派生した怪談ではなく、むしろそのパターンをあざ笑うかのような、いわばアンチ仏教説話を狙っているかのように感じます。怪談御伽猿は人を食ったようなとぼけたような話が多く、「御伽猿」というネーミングの秀逸さを感じさせます。




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