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「ますように」から見える神との距離感(現代「ますように」考 序文より)

このテキストは2019年発行の同人誌『現代「ますように」考』からの抜粋です。全文はBOOTHにて電子版を販売しています。
https://sunaaji.booth.pm/items/2337818


多くの人がそうであるように私も年間五〇回くらいは神社にいきます。
だいたいの神社には絵馬が奉納されています。書かれていることを読むと非常に楽しいのですが、そこには共通して「○○しますように」などと書かれています。
考えてみれば「ますように」という語彙は、現代ではなにかにお祈りするときと、スピーチとほんわかしたポップスの歌詞くらいでしか使われていないようです。
バチをあててください、金持ちにしてくださいなど、直接的にお願いしている絵馬もありますが、「ますように」というのはなんだかそれよりも一歩引いていて、別に神仏の存在なんて確信していないけども、それでも叶うと嬉しいな、くらいの距離感があるようです。

現代日本人の宗教観というのはもちろん一神教世界のそれとはまったく違うものであるし、かといって多神教的な観念ともすでにかけ離れています。この手の話は信仰と宗教と信心を同じお皿に乗せて行なわれてしまうことしばしばで、まずそこをひとつひとつ切り分けて考えるべきなのですが、日本人の信仰らしきものは捉えにくく、はっきりとした形が見えにくい。しかし、この社会に宗教性がまったく無いかというと決してそんなことはないようです。

一皮剥けば、大都会の足元でもなにかしらの「ますように」が見つけられます。
あえて断言してしまうと、捉えにくい日本人の神様や見えざる世界への距離感というものが「ますように」という特殊語彙にあらわれています。
絵馬のなかには「再就職できるまで禁煙します」、「男断ちをお約束します、ただし三年の事」など、契約を表明する、「○○します絵馬」が存在しているけれど(どちらも実際にありました)、「ますように」となると話が変わってきます。
現代で「ますように」を使う場面はいずれも、面と向かった具体的相手を伴っていません。つまり対個人で使う言葉ではないのです。

神や自然、 この場にいない人、あるいは未来など不特定な対象にむけて、受動的な態度で、お願い、というかこうなったらいいなくらいの気持ちで言っているようです。

今回、第一章で紹介する「猫戻しのまじない」をきっかけに、日本国内の民俗を訪ねて歩いた中でみつけた「ますように」を集めてみました。そこには祈願の多様性や、その深刻度の浅深、信仰の濃淡、そして何よりも、こんな世界がまだ生き残っていたのかという驚きがあります。

基本的にこの本では現在も現場にいけば見られる、現在進行形のものを取り扱うことにしました。いわばこれは民間信仰の生存報告書でもあり、旅のガイドブックでもあるのです。

では、皆さんの旅が土着の忘れられかけた世界と出会う驚きに満ちたものでありますように。



第二弾
『現代「ますように」考2 逆襲のアマビエ』も発売中。
https://sunaaji.booth.pm/items/3821791

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