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いかれ帽子屋になる必要性


小学生の頃、両親は共働きだったので学校から帰ってはテレビを見ていた。本当によく見ていた。夏休みなんかになると、朝8時から夏休みこども劇場(らんまとか幽遊白書とか)を見て、10時半くらいから再放送の名探偵コナン、あとはなんかクレヨンしんちゃんとかもやってた気がする。それで11時半くらいになってお母さんが作って置いてくれたお弁当を早々に食べてしまう。そこからテレビは面白くなくなるので、ビデオを見る。例えばディズニーアニメ「不思議の国のアリス」

登場人物に、「いかれ帽子屋」というのが出てくる。アリスを狂ったお茶会で迎える奇妙な人物。子どもながらにとても気味が悪く、おかしな人だと思っていた。その中で『お誕生日じゃない日のうた』が歌われる。何度も見たので覚えるともなく覚えていたのだが、大人になって最近ふと思い出した。大阪の繁華街(飲み屋がたくさんある賑わった下町)を歩いている時に。まず『お誕生日じゃない日のうた』の歌詞はこんなのである。

君と僕とが生まれなかった日!
めでたい なんでもない日!
祝え なんでもない日!
祝え なんでもない日!
バンザイ!

なんでもない日 バンザイ!
僕の? 誰の? 僕の? 君の?
なんでもない日 バンザイ!
君の? 俺の? そうだ! 俺だ!
乾杯しよう 祝おう おめでとう!
なんでもない日 バンザイ!

ヤッホー!
ヤッホー!

「誕生日は一年に一度きり」
「そうとも。たったの一回さ」
「あぁ。でもなんでもない日は364日。ってことは…」
「年がら年中お祭りだ。バンザイ!」

なんでもない日 バンザイ!
私に? そうだ!
なんでもない日 バンザイ!
私の? そうだ!
さあ ろうそく消したら願いが叶う
幸せやってくる
なんでもない日おめでとう!

どうだろう、何も補足はいらないと思う。何なら泣いてしまいそう。日々を生きる自分たちに必要な歌であることは明瞭である。あんな気味が悪い、気の狂った帽子屋には当然なりたくないし関わりたくもない。そう子どもの自分は心から思っていた。全く理解できないと。しかし今の自分はどうだ。日々のなんでもない日をどうにか祝って生きている。「お疲れ」と「乾杯」でなんでもない日を褒めている。

子どもの頃、夏祭りや海の屋台などは特別であって嬉しかった。大人になっても楽しいが、確実にあの時の特別感は薄らいでしまっている。それは単に大人になったからで、もっと楽しいことを知ってしまったからだと思っていたし、まあ間違いでもない。しかしこの歌を思い出してからもう一度なぜなのかを考えると、大人は代替を見つけたわけではなく、なんでもない毎日を特別なお祭りにする方法を知ったのだと、繁華街の賑わいと灯りを見ながらやっと気付いた。いかれ帽子屋さん、ありがとう。あの時に強烈な違和感を残してくれて。


否定していた存在は、必死に何とか生きる今の自分であった。


お疲れよりも
乾杯と言いたい
今日も終わる
クレームのメール
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