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暇を暇として使えるか


時間の経過だけを感じる瞬間を作りたい。

例えば鴨川を眺めるとき、本を用意したり、コーヒーを飲んだりしなくても良い時間。このアイスコーヒーの氷が溶けるまでに美味しく、でも少しずつ飲まないとな、とか、ちょっとトイレ行きたいな、とか考えたくない。せっかく持ってきた本を読まないとな、とか。ただ川と人を眺めたい。あそこの石にかかる影が右から左にゆっくり着実に覆っていく様子を観察したい。

窓から雲の動きを眺めるだけの時間。部屋のテーブルに座ってSNSも本も何も見ずにコーヒーを飲む時間。あの小さな虫が壁を横断する時間。(花の咲く時間も追加したいがあれはあれで根気がいるので別の才能を要すると思う)

通天閣の近くにある昔ながらの喫茶店に入った時、後ろのテーブルにひとりのおじいさんが座った。店を出る時、見るともなくそのおじいさんを見ると何か読んでいる。生命保険会社や銀行などからたまに届く絶対だれも読まないだろうこまこました字が詰まった紙だった。(概要書とか同意書もしくは契約書かもしれないし当然全部読むのが理想だが、ふらっと届くあの裏表ぎっしり文字の内容を読むのは生活の中で結構億劫である)

本や新聞を読むでもなく、ラジオを聴くでもなくその「読まなくてよさそうな紙」を読んでいる姿がとても印象に残った。なんだか美しかった。これはただの想像と偏見だが、彼は「喫茶店行こかな、さて今日は何持っていくかな、あ、これにしよ。」と家から適当に掴んで持ってきたのではないかと思った。彼にとって今日喫茶店に来ることは何も特別じゃなく日常で、なんなら時間つぶしかも知れない。昨日も今日も明日も明後日も続く日々の流れの中のひとつ。これほど生活を生きていく上で美しいものはない気がする。あたりまえをあたりまえに過ごす。本人さえ気付かないあたりまえさで。

「生活の暇を暇として生きる」は、平和でないとできない。とてつもなく尊い気がする。

通天閣近くの喫茶店

今、時間が経っている。経ち続けている。それをじっとして感じることは贅沢な時間の使い方である。時間を求めるのは平和を求めるのと同じ。何にも脅かされていないという象徴。


飛行機の中
窓の外はまっくら
たよりない
根気よくみていると
自分の顔が映るあたりまえ

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