見出し画像

味の記憶

父親がお好み焼きを作る時、動作の一部始終を見るのが好きだった。
まずボウルになみなみと作った生地を、ホットプレートにグルグルと広げ、魚粉や小海老を全体に散らす。たくさんのキャベツを乗せて、豚肉を乗せて、卵を割り、ほんの少しの生地をかける。分厚く不安定な塊を見事にひっくり返し、少しはみ出たキャベツを薄い生地の下へしまい込みながらギューギュー押す。あんなにバラバラだった野菜と肉と卵が不思議と一体となって焼き上がる。甘いソースとマヨネーズをかけて、鰹節が踊るのを熱い熱いと言いながら、私たちはモリモリ食べた。


父親が料理をしてくれることは稀だった。しかしそれが嬉しかった訳ではなく、単純に美味しかったことと、あんなに乱雑に作業をしてなぜひとかたまりになるのか、見れば見る程不思議だったことが強く記憶に残っている。


私がまだ学生の時分に、母親が大病をしたことで、なるべく毎日近くで面倒をみようと考えた父親が、一念発起した。脱サラし、お好み焼き屋を開くというのだ。確かに父親の作るお好み焼きは美味しかったが、商売になるのだろうか。サラリーマンしかやってこなかった人が飲食店を経営できるのだろうか。父親のやる気に反して家族は疑問と不安を隠しきれなかった。


父親はお好み焼き屋を開業する人向けの講座に参加し、家庭で作っていた広島風だけではなく、生地と野菜を混ぜて作る大阪風の作り方や、焼きそばも乗せる流儀も習ってきた。家庭ではホットプレートで一枚一枚焼いていたが、業務用の広い鉄板で数人分を焼いていると暑くなるらしく、バンダナに前掛けをして、次第にいっぱしのお好み焼き屋さんの大将らしい風貌になった。
私は何しろお好み焼きが好きになってしまったので、どれも美味しいなと思っていたが、思うように客は集まらなかった。退職金をつぎ込んで開業したが、一年も持たず閉店し、我が家は経済的にどん底に陥ってしまった。


私は神経が図太いのかもしれない。そんな記憶を思い出してしまうお好み焼きを、嫌いにはなれない。


初詣やお祭りの屋台で、連続して冷めた美味しくないお好み焼きを食べてしまって、満足できない気持ちが高まってしまい、その足で繁華街のお好み焼き屋さんを探し、やっと納得いく物を食べられた!とすっきりしたこともある。
熱した鉄板の上の豚肉とキャベツから香る、ワクワクするお好み焼きの匂いも忘れたくない。普段フライパンで豚肉とキャベツを使った他の料理を作りながら『この香りはお好み焼きに近いな、最近食べていないな』と、気もそぞろになってお好み焼きに思いを馳せてしまうことさえある。


父親は九州の出身で、特にお好み焼きが名物の地域と地縁があるわけではない。なぜ彼が得意料理にしていたのかも分からない。私はこれからも、いろいろな謎も辛い記憶も全てキャベツに挟み込んで、ひとかたまりにして甘いソースとともに噛み締めて飲み込んでしまうだろう。私の食べるお好み焼きには、他人には見えない特別な具が混じっている気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?