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<自分軸>と<他人軸>

自分軸と他人軸とは、何か。脳を潜在意識を通じて操りたかったら、【自分軸】を目指させねば、あなたの努力は、無駄になる。

自分軸とは、物事を自分の心を軸に、何かを決定する意図が在る、と言う事である。他人軸とは、母親や父親、学校の先生や他人のために目先の自分の希望や願望を抑えて犠牲にしてしまう事を言う。

何故、自分軸なのか

人間は子供のころから、色んな決断に迫られている。

例えば、ここに、隣の集合団地に住む、花子ちゃんが居たとする。かわいい8歳、小学校2年生だ。

花子ちゃんは、ピアノを習っている。

さて、では、花子ちゃんがピアノを齢8歳で練習するために、K堂駅から、K多見駅近くに住む、或る有名なおばあちゃん先生のトシコさんの自宅まで、数日おきに通っている事について、考えてみよう。

花子ちゃんは、なぜピアノを習っているのだろうか。

教育ママのお母さまに言われて、ピアノを習うのか、それとも、本当に花子ちゃんが習いたくて、習っているのか。

この違いは、すなわち、花子ちゃんの人生は、自分軸で決められているのか、それとも花子ちゃんの母親に勝手に決められて他人軸で生きさせられているのか、でわかるのだろう。

花子ちゃんが、K多見のトシコ先生の所へ毎週水曜日に行くのは、花子ちゃんのお母さまが、毎回、嫌がる花子ちゃんに無理やり、
「行きなさい!」、
と言って、花子ちゃんを無理やり、泣き泣き習いに行かせているからだとしよう。

とすると、花子ちゃんのピアノの練習は、
「他人軸」
で決められた選択だ。
決して、花子ちゃんは希望して楽しんでこのレッスンを受けていない事になる。花子ちゃんは、トシコ先生も含めて、みんな大っ嫌いだろうなぁ、と私は想像する。

だが、もし、花子ちゃんが、
「花子ね、いつか坂本龍一さんみたいに沢山お客様が来るコンサートを世界中でするアーティストになるんだ♪」、
と😊にこにこ😊し、この将来の夢に😍ワクワク🤩しながら、自分の希望で小学校の後で帰り道にK多見駅で下車し、トシコ先生の所へ行って練習し、楽しんでいるのであるのなら、それは花子ちゃんが
「自分軸」
で決めた、習い事だ。
だから、トシコ先生も花子ちゃんのお気に入りの先生なのかも知れない。

自分が聞きたくてチケットを買って聴くコンサート、
自分で決めて秘密のデートに行く行動、
自分がやりたくて、習字の手習いに行く事、
自分が興味があってやっている仕事、、、
と言う様に、自分軸で決めた事は、あなたの行動が、
自分が他人様ひとさまからやいのやいの言われて、嫌々やっている言動ではないのだ。

自分が自分の好きな事と興味を以て「望んで」やっている事が自分軸の決断でやっている事

他人軸は、自分を思いやらない決断だ。なので、自分がどんなに最低の状況であろうと、甘んじる言動だ。花子ちゃんのお母さまが、
「あなた、ピアノ、スキなんでしょ?え?違うの?」
と無理やり花子ちゃんを一緒に遊んでいたお友達から引離し、K多見駅へ行くO田急の電車に乗せてトシコ先生の自宅に通わせていたら、ハッキリ言って、お母様はその気が無くても、心理的幼児虐待に近い。

この子は他人 (つまり、自分の夢を娘に強制して押し付けている母親)に振り回されている、と花子ちゃんの脳は考える。
「花子は、こんな事、したくないもん」。
花子ちゃんの脳は、彼女の心にこの言葉を教え、花子ちゃんはその人生でピアノと言う楽器が大っ嫌いになるかも知れない。

本当は、他人軸で振り回され続ける子供は、こう考えながら、育っていく。
「こんな事、花子、したくないもん」
「こんなの、花子、大っ嫌い😭」
「こんな事をさせるママ、大っ嫌い😡」
だから、いずれは、大体3つの将来が待っている。
①非行に走り、売春などして自分を必要以上に傷つけるか、
②引籠りになり、家庭内暴力に走るか、
③自殺志願者になる。
私はそうなる前に沼の底を這い上がれた。たまたま留学を上司から勧められ、まだ若かったので、さっさと狂った家族のもとを去れたのだ。まぁ、後程帰国したけれど、その時は、十分大人で自分で自分を救う方法が分かって居た。

花子ちゃんがお母様から他人軸の人生を押し付けられている場合、親に甘やかされてはいるだろうが、「他人軸」で振り廻され続けているので、実際の愛情や実際の思いやりを知らない場合が多い。然も、自分の意思がないので、自分で決断が出来ない人間になる。成人して、独立する時、沼底から立ち上がるような苦労をするだろう。

だから、人間、自分軸でなければ、あなたの脳も、動いてくれるワケ無いのである。

自分軸は自分本位ではない

自分軸で言動をする人を、「自分本位」ととってはいけない。
全く意味が違うからだ。「自分本位」、と言うと、地球が自分の為に廻っている様なナルシシズム自己愛パーソナリティ障害症候群、謂わば、自己陶酔した、自分勝手で自分先行してしまう人のニュアンスになり、自分軸の人の考え方とはえらく変わってきてしまうだろう。
どちらかと言うと、自分軸の人は、ナルシズムとは正反対位置にあたるだろう。

自分軸な人間は、自分を周囲の他人様ひとさまと同様に、自尊と自愛慈愛を以て、受け容れ、認めているので、謂わば、自分を大切にしてる彼らは、周囲を俯瞰し、周囲の人々を思いやれる大人な言動が出来る、非常に客観的な人達だ。

私は、振り返ると、アメリカの初めて独立した自分の一人暮らし生活で、「自分軸」になる事を、友人等から教えて貰い、時間を懸けて出来る様になった。12年間のアメリカ生活で得たライフサイズの宝である。

亡母は特にそうだったが、私を一人で放置する事が出来なかった。干渉され続けて自分の希望する事など、誰かが傍に居ないと決められなかった。それまで、亡母がそばでアレコレ干渉し、母自身がさらに父から乱暴をされて生きていたので、母は共依存症に深く染まっていた。

母がその場にいなければ、乱暴な父が横で私と母の頭を交互にはたきながら、罵詈雑言を尽くして如何に私達が父にはそぐわない人間か、繰り返すだけだった。父が私に「殺されなかったこと自体、ちょっとした奇跡だ」、と当時の家族のカウンセラーに亡母が言っていた事がある程だった。

アメリカでは、一人で立ち上る時間がたくさん与えられ、また、自分の好きなことを好きな時間に好きな様にする事が出来、また、可愛がられて愛されて、大人になっていくことを同時に学び直した。

両親の死後の私は、勿論、自立した人間として、自分の決断を自分で決めて、自分で実行する事が出来る。自分でも
「大人になったなぁ」、
と思ったものである。

まず、他人の立場を重んじると同様に自分の立場を認めて受け容れ、大切にし、自らを労わり、愛し、思いやってやる事が自分軸の人達だ。

当の自分自身を含めて、周囲の人等の権利と思いを認めて受け容れてやれる人こそが、自分軸の人である。

でも、生まれつきそんな人はそう見つからない。逆に、そんな人が居たら稀有に思う。そんなに配慮が出来るか、と言うと、普通の人間には不可能だろう。

皆、自己中心であり、子供の頃に傷があり、まだまだ子供の様なモノで、自分の持つものやプライドで喧嘩騒ぎになり、自分本位で自己中心だから、後々、振り返りが必要であり、反省が必然となる。

人間て、みんな精神年齢が5歳だ

この言葉は、作家でプロの実業家コンサルでもある、本田晃一先生が仰せになった。その通りだと思う。

「世の中、どんな人も、みんな子供の喧嘩とさして変わらない。その辺の公園で、よく起ってるおもちゃの取り合いの喧嘩騒ぎで、
『わ~ん、○○ちゃんが僕のトラック盗っちゃった』
と言う一文を手に取って、『○○ちゃんが盗っちゃったトラック…』のくだりを『▲▲さんが、私の○○銀行の案件を盗んだ』と作り直してください。
あれ(笑)? いつの間にか、マーちゃんのお友達との喧嘩は、マーちゃんのお父さんがライバルの▲▲さんに○○銀行の案件を盗られた、と騒ぎ立ててる図と、全く違いがないよね(笑)」
「👀💦確かに...」

「人間て、自分のモノ、その「持ってる」事へのプライドに固執する。
自分が○○銀行の案件を掌握していれば、文句はないけれど、▲▲さんに旨くスリ盗られちゃったりすると、周囲の意見など気にせず、大きな声で騒ぐ」のだ。

「僕が、●●と言ったら、周囲はどう考えるだろうか」、
等と客観的に思いやりやレスペクトを持つのは、その人に失くす物が無い程、人生に満足でもしていないと無理なのかも知れない。

「一人っ子なので、他人軸はありえない」、
とぽよ~んと、思っていたことがあったが、実は脳について学び始めたら、一人っ子は、親の期待を一身に背負うので、過去の経験で重篤に他人軸になり易い事が心理学の教科書に書かれていた。

「過保護な親軸」
になっていて、
「親の自分勝手な強い希望や影響で人格を曲げられる」
と言う一人っ子は結構多いそうである。これこそ、典型的な花子ちゃんのピアノの練習の一コマと同じ状況だ。

人間が一番厳しいのは自分に対して

それでは、どうしたら良いのか。
小さい頃から、口汚い親に、
「お前は駄目だから、お前は馬鹿だから、出来ないから、ノロマだから、お前は何を始めても完結出来ないから」
と言われ続けて育った花子ちゃんは、年を重ねて大人になるにつれ、今度は自分を表現する際に、上の文の「お前は駄目だから、お前は馬鹿だから…」から「お前」と言う主語に「花子は、私は」と自然に嵌め込み、脳に擦り込むであろう。

斯くて、他人軸で、親に人生を滅茶苦茶にされ、何一つ満足に出来ない、自尊心の低い、ひねくれた花子ちゃんが出来上がるワケである。

昔、アメリカの大学で、心理学の教授が言った。
「ヘイ、みんな。自分に一番厳しいのは、誰か、知ってるかな」
と問うた。皆、顔を見合わせ、大体の口で、「両親」とか、「うちの旦那」とか言う中、教授が、前の方に座った、カップルカウンセリングのカウンセラー助手で大学院生に、
「君はどう思う?パトリシア」
と尋ねた。

教授の助手だったパトリシアは、皆の方を向いて、
「いやぁ、あと一人いますよね。
すっごくて厳しいことを言う、酷く口汚い、いやな奴」
皆は眉を寄せて、考え込んだ。すぐに出て来なかった。
「僕もそう思うね」
と教授がにやにやしながら言った。
「君たちは大事な人を忘れてるよ」

結局生徒が皆降参して、教授がパトリシアに合図した。
パトリシアが言った。
「自分自身」
と言った。

「試験で悪い点を取った時や、何かを結果的に大失敗した時に、
僕は自分をガッカリさせたアイ・フェイルド・マイセルフ』と言うわよね。自分が自分に与えてるスケールの高さって、ちょっと高過ぎどころじゃない、巨大なそら豆の樹木より高いのよ」
「そうだ。自分が自分に対して誉め言葉は言わないんじゃないかな。自分を褒めた事はあるかい?自分に対して話をする時、僕達はかなり手厳しいことしか要求しないんだ」

「だから、自分をいたわる練習が必要になるんだよ」
と教授が話し、
生きていられる事、
「心」を持っていられる事、
愛情を以て何かを表現して出来る事、
考えられる事、
脳がある事から自由に活動出来る自分の生活
まで、良く教会で全てを神に感謝する言葉を、そのまま自分に、感謝して言いなさい」、
と言った。

35年も前の事だ。今頃になって、ソレがどんなに大切な授業だったのか、私は発見した様なものだ。

心理学教室の主任教授は当時、文化の違いの中で毎日遅れないように勉強しまくる私たち国際学生の精神的に非常にアンバランスな生活を知っていた。
都市感が故郷になっている東京出身の生徒には、この田舎のカレッジは、物足りない場所だったし、私と話の合う友達が何より少なかった。出来たらカウンセリングでもやりたい程だ、と言われた事もある。

教授は、私に良く気遣いしてくれて、日本からアメリカに飛び出してきた、と言うより、アメリカに日本から逃げてきた、と言う表現で笑わせてくれたものだ。持ったことのない「父」の様な雰囲気で、暖かくて優しい人だった。可愛い娘を世に出すのは苦労の連続だよ、と笑ってくれた事もある。

自分を労わるところから自分軸は始まる

留学中、日本から亡母が遊びに来た際に、出来るだけ長い間、母を預かる様にアドバイスしたのは、この教授だ。一目見て、びくびくしてやせ細った母が亡父を怖がって生きてきたのが一目瞭然で、教授には分かったのかも知れない。

父から乱暴されたり罵詈雑言で罵られる毎日を過ごしていた亡母は、結婚して初めて、父から離れて自由な6か月をアメリカで過ごした。天国の様だったろう。

アメリカの大学を出た後も私はアメリカに滞在し、父から逃げていた。

12年後に心細がる亡母から必死でお願いされて帰国した。当時、既に自分軸を持ち続けていられた自分が自分軸を崩さないでいられるか謎だったが、好い年だったので、老いが酷くなるにつれ暴力の度合いが増す認知の亡父との確執や、亡母の共依存症からパーキンソンを経て認知悪化で入院となるまで、就業し、家庭を支え、彼等の認知症介護をし、自宅介護から入院まで世話をして、しまいには彼らの死を見送り、また自分の生活を別途確立していた私は、孤独ではあったが、自分軸を外さずにいられた。
まぁ、自分に対して労わり始めたのはごく最近ではあるが。

自らを労わる重要性を説く本田晃一氏曰く、
「自分軸が出来る様になるのは、日本社会の場合、時間が懸るだろう」
と仰せだったが、その通りと思う。日本では、両親が子供に及ぼす影響度が、独立を目先にゴールとして家庭教育するアメリカと違い、老年まで両親の干渉下にいなければならず、ストレスは並ではない。そんな中でも、自分を自愛慈愛し、他人を敬い、自分軸の生活を続けて行かねばならないのだ。

日本は他人軸の国

日本は「お客様は神様」と思っている国だ、と世界に知られてもう長い。

世界中の人が日本のCRMカスタマ・リレーションシップ・マネジメントの幅広さや相手への思いやりがどんなに行き届いているかを知っているが、日本にはモンスターと呼ばれる鬼の様なお客様もいるのだ。このモンスターカスタマ達は、一般に皆、カスサビカスタマ・サービス担当達が
「お客様志向と呼ばれたいなら、お客様を軸にしたサービスでなければならない」、
と言う建前をお持ちだ。但し、その建前の「程度」が暴力にも及ぶ程凄まじいので、モンスターなワケである。

モンスター・パレンツは鬼のような両親である。例の花子ちゃんが苦しむお母様のような方だ。他人軸で子供を苦しめる鬼がモンスター・パレンツだが、ご本人様達には、その自覚はない。

モンスター・カスタマ同様、自分が要求している対象が、厳し過ぎる自覚がないのだ。そして、大体の場合、モンスター・パレンツは自分たち自身が他人軸で生きてきているので、子供に要求する他人軸は
「当たり前」、
と思っている。日本は他人軸な国なのだ。

他人軸志向を自分軸志向に変換する方法

自分がどの位、自分軸か、確認する方法がある。

まず、自分がやっている習い事、仕事から、趣味まで、すべて頭の中の大きなワークルームの床に、拡げる空想をしてみよう。
結構な量のものがあなたの頭の中に広げた床に見つかる筈だ。

では、一つずつ、拾って考えてみよう。
習い事、仕事、趣味、活動、すべて、あなたは、自分で好んで、心から楽しんでやってることだろうか。それとも、旦那さまや親から言われて、辟易やっていることが入っていないか?

一時期、ピラティスをやっていた事がある。健康に凄くいい運動で、ヨガに似たストレッチ運動だ。雑誌で記事を調べたり、どの辺をどういう風に治したいと思うかとか、自分で考えてワクワクした憶えがある➡ならば、自分軸で決めた習い事だ。

若いころ、お茶とお花を習わされた・・・・・ことがある。きれいな着物を着せて貰って、お花の展覧会に出たり、お茶会に出たり、したけど...あんまり楽しくなかった➡ならば、他人軸だ。

全体的な印象や、やってることを楽しく思い出す事が出来なければ、あなたがしていたことは他人軸である。一つでも他人軸で物事を決めていたならば、あなたは他人軸で育ったことになる。

誰か、別の人の為、将来のイベント (素敵な人と見合い結婚する為のお飾り、とか)の為、やっていた習い事ならば、すべて他人軸。

こうやって、自分軸で仕事を決めたのか (お父様から「この辺にして置け」と言われて他の会社を諦めた、とか➡他人軸)確認してみたり、どうしてもやりたい仕事じゃなかったけど、仕方ないからやってる他人軸だっ😱💦と発見したり、一つ一つの決断時の自分を振り返ってみると、結構他人軸な自分が見つかるかも知れない。

これらを、自分軸には出来ない。

でも、もしあなたが他人軸で決めた事に辞めたくない事、諦めたくない、いや、コレは私自身興味が有る、というのであれば、今後は自分軸でそのことに挑んで行く。

コレが自分軸に移行する方法だ。ソレも、段階ごとに静かに実施しよう。時間を懸けてココまで来た筈だ。ゆっくり時間を懸けて自分を自分軸に戻す方法を自分なりに考えてみよう。

自分軸じゃなかった自分の人生を振り返る事には、長い時間が懸る。残りの人生懸けて振り返る事だって、必要かも知れない。

自分軸でやる事や考える事は、楽しくて、心がウキウキして来るモノだ。
脳から出る
・セロトニン、
・オキシトシン、
・ドゥーパミン
と言う三大ホルモンは、楽しいことを連想すると分泌される。考えるだけでも顔はニコニコ、😊笑顔で😊心はウキウキ🤩、身は踊るようなら、自分軸になって行動している証拠だ。

そして、ソレがあなたに見当たらないのなら、今から探すのもいいのではないか。

OWNERSHIPは自分軸が基本

アメリカは、オーナーシップの国だ。

物事を自分で仕事や趣味として実施すると決めたなら、自分が勝ち取った「ソレ」は、自己責任で掴んだ「権利」だ。自分自身で (責任感を) 持たなきゃいけない。

何かを決めたら、厳格なオーナーシップ(責任)を以て実施する、という超自分軸な責任感の範囲を持っている。自分がしたことに於いてすべてに責任がついて廻る。だから、この国では引責で引退する社長は皆無だ。どんなに周りが辞退しろ、と言っても、本人が自分軸で「もう辞める」と決断しない限り、辞めないだろう。

こう云うオーナーシップを持つ国では、婿選びから仕事選び、学校選びまで、すべて自分で責任を負って実施せねばならない。

婿さんを思うとトローンとした😍恋する目😍になりワクワクしながら新生活を共にし、自宅を購入して、二人でその支払責任を負う。

仕事を選ぶのも、自分で
「これがやりたい理由はこうで、こう言うスキルを持っていて、こう言う方向性でやりたいから自分は適任」、
と売り込む。

アメリカ人はオーナーシップで全てを管理する。そしてオーナーシップは自分軸で自分が決めた仕事であり、結婚であり、学校であり、子供の教育であり、つまり、自分が決めた自分の決断だ。

自分が責任を取って、自分が一番好きで、自分で決断する事を自分に課している。課した責任は重い重大な責任でも、自分がやりたいことをする為の責任なので、問題ないのだ。

仕事をしていれば、失敗も沢山有ろう。反省することも一つ、二つではないだろう。だが、
「I OWN IT (自分で決めて、自分の大好きな事をやっている)」
から、その落ち込みは長くないのだ。
暗くならない。波動調整不要なのだ。

自分軸であることが脳の持つ引寄せ力の基本条件だ。他人軸から卒業して、自分軸で自己責任を以て、日々の生活を暮らして行きたいものだ。

今日も読んで下さって有難うございました。
明日からよりよい一週間をお迎えください❣❣❣

👋😊

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