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【二人のアルバム~逢瀬⑰~垂れ櫻】(フィクション>短編)

彼との生活に慣れてきて、彼女の生活には弾みがついた。

春の陽気が、少しづつ彼女の震える肩と頭痛を癒し、少しずつ和らげてくれた。それでも、時折、冷たい1月、2月の後、まだ花冷えを所々感じ、震える彼女の肩を、心細かく温かい彼のむっちりした掌が、優しく撫でてくれた。

その日は、3月も目の前の日曜日で、2人は近隣の散策をした。

桜の開花がニュースに上っていて、当初、肌寒かった彼女も、数分経たない内に晴れた陽の光の下、彼と並んで歩いている内に、汗ばみ始めた。

大体、2時間半も歩いたろうか。
一人で暮らしていた頃から比べたら、考えたような事も無い様な歩数になるものの、肉体的に全く疲れを感じず、彼女は、毎晩、自分のスマートウォッチを見て驚いた。二人で散策すると、長距離歩いても、彼は歩幅を彼女に合わせるので、全く気負いにならず、余り、疲れも感じなかった。

二人で長時間、散策する時は、彼は、必ず週末を選んだ。ゆっくり寝て、暫くコーヒーで落ち着いて、朝食で身体を用意してから、彼女に行く先を話したりした。

簡単に疲れてしまう彼女を気遣い、歩幅を合わせて歩きながら、商店街のソフトクリームを買って食べたり、果物屋でリンゴを買って、一緒に食べた。カフェなどで一休みもしたりした。

今まで、彼が彼女と話した事も無かった様な、子供の頃の思い出や幼い頃の秘密をお互いに話して笑い合い、お互いが、今まで以上に近しい気持ちになったと告げ合った。

彼は彼女の手を握って、昔の話をしながら、彼女の歩幅で歩いた。まるで、中学生のカップルの恋の大冒険をしているような気分だった。

「今日は、外出予定ある?何処かへ行きたい?」
彼がそう訊いた時、彼女は
「特に予定はないけど?」
と、答えた。

通常、彼と離れて暮らしていた頃は、独りぼっちでアパートメントハウスに籠って猫と遊ぶか、好きな料理をして、写真に残したりSNSで一人遊びをしていた。孤独な生活だったし、もう二度と戻りたくない世界だった。

移転後の彼は、元々活動的な性格で、何処かへ行きたいとなると、必ず彼女を誘って、一緒に連れて歩いた。釣りから野球から、彼は自分趣味活動を彼女に知らせ、色々な知識を教えながら、彼女を自分にピッタリのパートナーに仕上げようとして居る様子だった。

パートナーが見つかったのだ、と思うこと自体がまるで永遠の幸福の様に思えた彼女には、何ら問題はなかった。

何処に行くかはまだわからぬまま、彼にくっついて出かける用意をしながら、猫に餌をやり、帰りの時刻などを口にしながら猫を撫でていると、
「前さ、タクシーで5叉路近くを通った時に、県道方面から曲がった所の先に、農家が有ってね。大きな農家。野菜も売ってるみたいだから、一度、お野菜の方を見せて欲しいな、みたいな」
「あら、知らなかったわ。私も見たい。滅多に行けないし。私も連れて行って下さる?」
「勿論、マダム、お手をどうぞ」
彼はおどけて彼女の手を取り、猫に手を振った。猫がにゃあ、と答えると、2人は笑いながら外出した。

アパート前の坂道を下りていき、駅の向こう側出口へ行き、駅前通りを真っ直ぐ歩き、5叉路を左方向に選んでいくと、突然、舗装された道路が無くなり、指導の様な砂利道が始まった。突き当りに大きな農地が広がっていた。

砂利道の進行方向、右手に小さな簡易テントがあり、テントの下にバケツが数杯あって、大根が突っ込んであった。隣のバケツにはキャベツ、近くに居た百姓風の無精髭を生やしたオジサンが、
「何でも、一個百円だよ」、
と通り掛かりに謂って、彼にお出で、と手で招いた。

大型のビニール袋を手に、彼女と相談しながら、彼は廉価の野菜をたくさん購入し、
「彼女が疲れてるので、〇〇町の坂の上のアパートメントハウスまで、乗せてやってくれないか」、
彼は、オジサンに煙草をあと一本あげて、そこのトラックを指さしながら、会計で貰っていた釣りをそのままやると、オジサンは、煙草を受け取って耳に引掛け、金を有難くポケットに突っ込んだ。
「あぁ、有難うござんす。いいですよ、ねぇ、奥さん、荷台に乗ったこと、あるかな」
と、彼女に何げなく話しかけ、彼女がニコニコしながら頷くと、手助けしてトラック荷台に二人を乗せ、野菜のボックスも一緒に、アパートメントハウスまで、届けてくれた。

あのまま帰り道を重い荷物を持って歩き続けたら、彼女は倒れてしまっただろう。彼はこのトラックで帰れて、ホッとした。

彼女は、車がガタガタと揺れる毎にきゃあきゃあ言って喜んでいた。彼は彼女の肩に手を架けて彼女を支えて、一緒に楽しんだ。

彼女のスマートウォッチは、帰宅後に確認すると、歩数が2万歩を越えていた。どっと疲労感が身体に拡がり、暫くソファに寝転びたくなった。
「そこに休みなさい。夕飯はすき焼きにしよう、俺が作るよ」、
と彼が冷蔵庫から肉と言う肉を出して解凍して、野菜と一緒に料理をした。彼女は用意出来るまで、猫を膝に乗せたまま、微睡うたたねしてしまった。

(つづく)



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