映画のはなし
今年に入ってから、心が震えて涙が出る、という機会が何度かあった。
ひとつは、年明けすぐに観た映画『Perfect Days』。
最後のシーンの役所広司さん演じる平山に圧倒されて、エンドロールが終わって会場が明るくなってからも、涙を止めることができなかった。
感動したからか、儚かったからなのか切なかったからなのか、それとも美しくて涙が出たのか、半年以上経った今も、上手く言葉にできない。この気持ちを言語化してしまうことで、映画の本質を欠いてしまう気さえして、私は今も、あの時の感動を抱きしめたままだ。
――KOMOREBI: The sunlight that filters through the leaves of the trees
――こもれび。木々の葉のすきまから射す日の光
『翻訳できない世界のことば』(エラ・フランシス・サンダース (著))によれば、日本語の「木漏れ日」という単語は、外国語に同意語が存在しないという。
ヴィム・ヴェンダース監督と共に脚本を担った高崎卓馬氏が本作のインタビューで、「葉が揺れると光が踊る。日本ではそれを木漏れ日と言う。踊っている光を映画にしたい。そう考えて映画をつくった」と話していた。
光が踊る、とは本当にそのとおりで、その言葉を聞いて私はようやく、光はものを通して形を持つのだと気がついた。この映画を観てから空を見るのが、光を感じるのが、葉を眺めるのが、以前より何倍も好きになった。日常に余白が生まれて、穏やかになる時間が、つまりとても幸せな時間が、日々の隙間に生まれた気がしている。
インタビューのなかで監督が、誰の心のなかにも平山は居る、と話していた。もしかしたら、本当にそうなのかもしれない。それなら、私のなかに居る平山をずっと大切にしたい、そう思いながら日々を過ごしている。
それから、数ヶ月前に観た、坂本龍一さんのコンサートムービー『opus』。坂本さんのピアノに、息遣いに惹き込まれた。何も余計なことは考えたくなかった。公演の間、私は何者でもない1人の人間としてそこに存在していて、スクリーンの先に居る坂本さんと対峙していた。亡くなる約半年前に撮影されたその姿と音色は美しく、激しかった。気づいた時には勝手に涙が溢れて、私は肌が痛くなるような静かな空間で、嗚咽しないように深呼吸した。
9日から、音源の配信がスタートした。今、もう一度坂本さんの音を聴きながら、この文章を書いている。
こうして心を落ち着かせて作品を感じる時間は、きっと心の栄養で、いつまでも溶けることがない尊い時間だ。
追記 20240826
『Perfect days』で平山が読んでいた本、「木」を読んだ。幸田文さんの美しい文章。彼女が見た景色を、慈しんだ木を、文字を通して見る。平山が和室の部屋で布団に寝転がりながら読んだ本を、私は満員電車で読んだ。それでもきっと、彼女の言葉たちが身体に染み込んだはずだ。
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