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日記 20240816


感情には、形容しきれないものを含め、あらゆる種類がある、はずだ。

私がそう言いきれないのは、世の中で言葉として定義されている事象があまりにも少ないから。広辞苑には25万語が収録されているのに、実際に私たちの周りにある事柄には名前の無いものが多すぎて。
だから、目に見えない感情が実際にどれだけ存在しているかなんて、私には分からない。自分が抱くありとあらゆる感情が何かなんて、私にはちっとも分からない。

でも私はきっと今、怒っている。少なくともここ数日、私は他者に対してすごく怒っている。
自分以外の人に腹を立てるのは、随分と久しぶりな気がする。苦しくて、辛くて、でも少しだけ、嬉しい。

だって腹が立つのは、その人のことが大切だから。
まだその人と繋がっていたいからだと思うから。

本当は、怒らない方が楽だ。
心底落ち込んで自分の殻に閉じこもっていたあの頃、誰にもなんの興味も感情も抱かなかった。それは、たくさんの人と出会い語らった昔よりもずっと楽だった。
興味が無い、という状態が少なくとも私にとっては1番簡単だ。
相手に伝えるべきか、そうしない方が良いか。もっとこうしてほしいのに、こうなったら素敵なのに。そんなことを考えて相手を意識し続けるほど、身体も心も消耗していくから。

それなのに、
寂しい、が、怒りに変わって、
どうして、が、怒りに変わって。
大切だから、怒っている。
大切だから、心を消耗する。
そんな時があったって、たまになら良いと思う。お、私、怒ってるんだね、と遠くから自分を見て、そうかそうかと受け入れることが出来ている。
悪くない、と思う。


「両手に掬えるだけの大切を、ちゃんと大切にできるように」

丁寧な暮らし、をテーマに生き始めてからの私の合言葉は、私の大切な人たちと、私自身を守る言葉だ。
欲張らず、身の丈に満足して、自分の大切をちゃんと抱きしめられるように。背伸びをするのは、まだ私には早いから。今あるだけの幸せを、ちゃんと幸せだと思って守ること。

言葉として存在し得ない心の中は、シャボン玉のように浮かんで、石のように沈んで、ひこうき雲が知らぬ間に消えるように、身体に染み込んで消える。

怒るのが下手くそな私が、ここ数日、怒ることを続けている。それで良いと思っている。
大切だから。簡単に諦めて哀しくなるのではなく、怒ったり、反省したり、伝えたりして、もう一度抱きしめたいから。

あまり長くならないうちに、バイバイとこの感情に別れを告げられるように。やっぱり「怒っている」という言葉では、この気持ちを表しきれていない気がするけれど、もう少し、この感情と向き合ってみようと思う。


追記 20240818
数日共にした「怒り」と笑顔でお別れした。あくまで自分の心の中にだけ存在する感情は、他者のものではないからこそ、誰にも渡さなかった。
自分の当たり前が、他者にとっての当たり前ではない可能性。他者を知ろうとする意識。違いを面白がる視点。そんなことを教えてくれた社会学と時間に、心底感謝したい。
大切を大切にできて、抱きしめることができて、本当に良かった。

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