【日記】 野良猫への哀情
有給でお休みの平日。
いつもとは違うことをしよう!と思い、ほぼ1年ぶりにバイクに乗り、近場をツーリングしました。
特に目的地はなく、トコトコと音をたてながら、街中を走り回り、
気がつけば、目にする建物は少なくなり、田んぼや畑の方が多くなっていて、山が遠くに見える郊外を走っていました。
30分ほどそのまま走らせていて、
そろそろ休憩しようか、と思ったタイミングで、
そういえば近くに公園があったな?
とも思い、休憩を兼ねて、とある公園へ行きました。
そこは、春になると、花見客で溢れる、垂水公園というところ。
山の上にある公園なので、急な勾配を登る際は、愛車が『うおぉぉぉおー!』と叫んでいて、大丈夫か・・?となりながらも何とか到着。
平日の昼ということもあってか、人は全くおらず、独占状態でした。
4人ほど座れそうな東屋があったので、そこに腰掛けて、体を休めつつ、
山上から開けて見える景色を眺めてました。
柔らかい陽光が照っていたこともあり、心地よい時間を過ごせました。
5分ほど、ぼーっとしていた後でしょうか。
気がつくと、足元から1mほど離れたところに、3匹の猫がいました。
鯖柄の猫に、黒猫、鯖柄に橙色斑が付いた猫、と個性的な3匹でした。
陽気に誘われたのか、3匹ともゴロゴロと転がって日向ぼっこをしている様子。気楽でいいな〜と思えそうな場面ですが、その時なぜか、哀愁というか悲しい気持ちになってしまったのです。
なぜか?
結構前に、野良猫の寿命は3年ほど、という記事をどこかで読んでしまったことがきっかけ。
ましてや今は真冬という中で、食べ物もなかなか得られない環境ではないか?もし3匹中1匹が飢えて倒れてしまったら、残された2匹はどう思うか・・?(最後の1匹になってしまったらどうか・・?)
なかなかネガティブな発想である・・。
最初に見かけたときは、警戒心もなさそうな感じだったので、撫でようかな、とも思ったが、哀しい気持ちを抱いてしまった瞬間に、これ以上拘るともっと悲しくなるとも思い、ただ見るだけに留めておきました。
彼らは(オスかメスかは分からないけど、一旦彼らとします)、どう思っているか分からないけど、哀れに見えてしまう・・。
こんな感情を持つのは自分だけでしょうか?
こう思うのも、実家に猫が2匹いて、その2匹の恵まれた境遇と彼らの現状を比べたときに、ただただ哀れに見てしまったのです。
改めて思い返すと、彼らにとっては何も関係ないことなのかもしれない。
自分視点で見ると、食べ物がないどうしよう?明日が不安だ、、だから彼らがかわいそう、となるが、当の本人たちからすれば、ただ今を生きる、それだけなのかもしれない。
つまり私と彼らの認識に大きなギャップがあるかもしれず、ある意味、自分のエゴで哀しいと思っただけかもしれない。これも奢りなのだ。
奢れるものは久しからず・・・。という言葉が頭をよぎる。
閑話休題。
公園を去る時、彼らの方をチラッとみると、何事もなかったかのように3匹仲良さ気に、とことこと歩いていました。
そのときは、彼らを見捨てた気がしてしまい、心が痛んだものの、
彼らには彼らの生活があるのだ、と今では見方が少し変わりました。
ただ、共生していくという点で、彼らの居場所は整っているのか?と言われると疑問が残ったので、考える良い機会になりました。
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