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ヨギーの道。ヴィーガン料理。慣れ親しんだ目覚めや気づき。

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友人のファトシュの家の裏庭で採れたもの100%で作った、ヴィーガンランチ。ディディがニョッキを作ってくれました。

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家から持って行った、具なしのカッパドキアの岩塩と海苔だけまぶしたおにぎりと、昨日、イスタンブルから届いたお豆腐の冷ややっこを持って行きました。ディディは、めちゃめちゃ喜んで、ニョッキ作る前に、皆でシェアして先に平らげたので写真撮り忘れました。

食事のあとで、ディディと二人で向かい合って瞑想ワークショップをしました。ディディが進んでいるヨギーの道への、最初の最初の一歩目の様な瞑想の基本中の基本を教わりました。
そして、私も、ゆっくりでもちゃんとヨギーの道を歩いて行きたい意思を伝えて、私だけの、誰にも一生涯言わない秘密のマントラを授けて貰いました。私だけが私にかけることが出来る魔法です。
そのマントラを唱えることで、私はいつでも私の中心に戻って来ることが出来ます。深いパワフルな瞑想の仕方も教わって、多分、これから、この瞑想は多分一生続けていくだろうな、と言う確信を得ました。

ディディは、明日、カッパドキアを離れるので、世界を移動しているディディに、次いつ実際に会えるか約束はありませんが
この、爆ぜるような三日間と、今日のセッションを体験して
また、どうせ、絶対会えるしな、と言う感慨しかありません。
FBや、様々な通信ツールで、今は繋がっていられますしね。
そして、多分、私も、これから、境界線を越えて、移動をしそうな気がします。世界って、どこ行っても世界だな、と言う実感があります。

そう言う、目覚めた感じや、気づきの感覚って
既に、とっても慣れ親しんだ感覚になっている。
は!っと気づきを得た時の、興奮の感覚が日常で、なんら畏れるに足らず、と言う感じ。ドンドン、どこまでも目覚めていってもOK!ってな感じ。

一方で、時々くる、揺さぶられる事件や思い。
これはこれで、目覚めても地に足を付けておきなさい、と言う注意喚起。
この人生は、時間や重力や身体や感情の制約があるからこその人生で
心だけ飛び回っていても意味がない。
現実の目の前のことと、魂や宇宙の中のことと、両方なくっちゃ意味がない。そんな中で、どこまで自分が自分らしく、自分でいられるか、と言う、そのチャレンジをしてるんですよねぇ。
だから次から次へと楽しい事が起き続ける。
一個一個、意味があるから降ってくる(;^ω^)
一個一個、味わって参りましょう!

全ての友人たちに健康と幸運を!

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