見出し画像

月曜日、午前10時に書く私の事

珍しく今日は今日のやる気を出すために、朝に執筆してみようと思う。

朝、ご飯を食べて洗顔して…という過程をきちんと踏んだ日はやる気に満ち溢れている日。今日は外から鳥の声があまりしないな、ちょっと寂しいような。
けど、外は快晴。すっきりと晴れている。

私は、やる気が本当に出ない日とこんな日の差が大きくて、毎日ちゃんと起きたらもしかしたらこんな日が続くのかもしれない。そう思って21年間やってきたけど、続いたことは一度もなかった。
やる気がない日はとことんやる気が出ない。本当にやらなければならないこともできない。甘えだ、クズだ。そういわれても書き残しておこうと思う。
今この瞬間に、自分が思ったことを。

やる気を出さなければ、やらなければ、そう思ってもできない時がある。
他の人は「なぜできないんだ」「ダメな奴だな」と思うだろう。
私も自分のことをずっとそう思っている。
私は本当に何もできなくて、やりきったことも、努力した経験も無ければ、特に自慢できることもない。最初から、「ちょっとできる」といえるようなこともない。何年かやらないとうまくなれない。

「自己肯定感を高める方法」
コラムは肝心なこと一つも書いていない。
参考になったことなんか一回もない。

「私の友達は、誇れるような人ばかりだ」
それだけが自慢。

だけれども、だからこそ時々、かき乱されるほど強く思う。


「私は、自分のことをクズだと思っている。人をうらやましく思い、どんどん恨めしくなって、卑屈な人間になったら」

そう考えて恐ろしくなる。そして、この人生を終わらせたくなる。
何もできない、何の才能もない、誰からも必要とされない人間が生きている意味は?これを一生背負っていくのか?楽しくもない。自分の顔も自分の性格もすべてが嫌いだ。何もできないからパートナーに迷惑をかけ続ける。自分よりもっといい相手がいるのでは?
結論、自分がこんな人間であることに疲れたから死んだ方が楽だと。

こう考えるのは、本当に、とても苦しい。
今日のような、まだポジティブにとらえられる日は考えないけれど、少しだけ足を踏み外すと、落ちていく。

今日は、この問題を「私はやる気の出ない日は休み、やる気が出る日はとことんやる。そういう人間。というよりは、そうしなければ生きていけない人間なんだな」と割り切って生きている。

今日の朝のお茶は、紅茶。
熱くて飲めない温度と飲める温度のちょうど境目ぐらいのあっついお茶が、喉を通っていく。
今日も1日頑張ろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?