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トライアングル 4

第四章 2  片思い<side トモ>



 夏になった頃から、カオルの様子が変わった。俺とカオルと、女の子二人で遊びに行った、あの頃からだ。夜遊びしたり、今までつき合いもなかったようなやつらとつるんでみたり、前はよく笑う無邪気なタイプだったのに、口数も少なくなって、あまり喋らなくなった。

 そして何よりーー

 まったく俺に干渉しなくなった。むしろ「避けられてる」気がしないでもないが、いい加減に「俺離れ」したんだろうと、軽く考えていた。そして、悪ぶってみたい時期が、やっとあいつにも訪れたんだろうと、そんなもんだと思っていた。
 けれど、そうなったらそうなったで少し寂しかった。あんまり評判のよくないやつらとつるんでたし(人のことは言えないけど)今まで真面目だっただけに、それなりに心配で、俺は自分が思っていたよりも、カオルのことが心配で可愛いんだと気がついた。「可愛い」なんて言うとあいつは怒るだろうけれど。
 そんなふうにあまり深刻に考えていなかった俺だった。だが、母さんは、カオルのそんな豹変ぶりにすごく心を痛めていた。
 もともと、母さんとカオルは、俺と父さんほどしっくりと行っていない。仲が悪いわけではないが、お互いに気を使いすぎるんだと思う。一緒に暮らしてもう五年になるのに、今だにどこか他人行儀で、そもそも母さんはカオルを呼び捨てにできないし、カオルだって「玲子母さん」なんて呼んでいるのだ。
 母さんは、自分や家の中の何かが至らなかったのだと気に病んでいるし、「反抗期だよ」と俺が言っても聞きゃしない。カオルはカオルで、もうちょっと母さんの心配をわかってやりゃいいのにと思うし、それがもとで、俺とカオルも結局ケンカになってしまった。マザコン呼ばわりされて、俺の心配も母さんの心配もはねつけられたのだ。
 確かに、あいつは俺と母さんがここへ来るまでのことを何も知らないから……時がくれば、いつかカオルにも話そうと父さんは言っていたけれど、でも、カオルには関係のない話だ。それに、時って何なんだろう。それはいつ、訪れるんだろう。終わった話を蒸し返す必要があるんだろうか。俺自身、カオルに話す必要はないと思っているけれど、それは間違っているんだろうか。
 家族である以上……

 父さんの海外赴任の話が持ち上がったのは、ちょうどそんな頃だった。

 
 両親はシアトルに行く。俺たちのことは自分で決めろと委ねられ、俺は「こちらに残る」と即答した。この岸本の家に来るまで、俺と母さんは本当にいろんなことがあって、やっと手に入れた居場所とも言える、落ち着いた今の生活のペースを変えたくなかったし、これまで苦労のし通しだった母さんに、好きな人と水入らずでのんびり過ごさせてやりたいという気持ちもあった。
 そして俺は、カオルもまた、日本での生活を選ぶだろうと思い込んでいて……だから、あいつの出した答えは意外で、ショックだったのだ。
 ただ、海外での生活に興味があるって言うなら、それを選ぶのはあいつの自由だ。俺がとやかく言うことじゃない。けれど、カオルが俺から離れたがっているのだとしたら? 何故だかわからないけれど、それは確信に近い疑問として、俺の心に巣食うことになる。


「智行? 起きてるか?」
 小さなノックと共に、父さんの声がドアの向こうから聞こえた。近くの部屋にいるカオルに気付かれないように小声なのだろう。
「うん。入って」
 俺も小声で言って、そっとドアを開ける。身を縮めるようにして部屋に入ってきた父さんは、ベッドに腰掛けると、ひとつため息をついた。
「何? 今日のこと?」
「ああ」
 煙草のない父さんは、手持ち無沙汰な感じで、両手を何度か組み合わせ、また戻してひざの上に置いた。何か、言葉を探しあぐねているように。
「で、お前は本当にこちらに残っていいんだな」
 何度かそうした後、父さんは単刀直入に切り出した。
そのつもり……やっぱり母さんは反対?」
「……まあな。私は、お前たちの進路のこともあるから自分たちで決めさせたかったんだが」
「朝比奈の家のこと?」
 俺は、もう何年も口にしなかった、その忌まわしい名前を発した。こだわっていたけれど、案外簡単に口に出せるものだと、心のどこかで冷めている自分に気がつく。
「だって、この岸本の家に入って、俺と母さんは法的にもあの家から縁が切れたはずだろ」
 父さんは黙って俺の言葉を聴いている。
「今さら……何があるって言うんだよ。正当な跡取りだってちゃんと決まったんだろ?」
 俺は言葉をいったん切った。
「俺の従姉妹の……」
「桜子くん」
「ああ、そう」
 俺は、同い年のその従姉妹には、子どもの頃に数度会っただけだ。別に彼女には何の責任もないが、あの家の一族だと言うだけで、俺の中から排除したい理由としては十分だった。
 父さんは、語る俺を慈しむような目で見ている。
 いつだって、俺はこの人の温かいまなざしに守られ、いつか朝比奈の家と完全に縁が切れることを願ってきた。だが、俺はわかっていなかった。法的にキリがついても俺がそれを厭えば厭うほど、傷は心を深く抉りこむ。俺が知らなければならなかったのは、そういった感情と上手く付き合っていく術だったのだ。
「表向きにはな……だが、やはり朝比奈の家の古い慣習として、男子が跡を継ぐべきだと主張している親族の人たちも、まだいるんだよ」 
「いったい、いつの時代の話だよ。時代錯誤にもほどがある」
「あれだけの旧家だからな、新しい風は通りにくいんだろう。だから、お前をまだ切り札として考えている親族がいるというのが現実だ」
「あれほど、穢れた子どもだとか言っといて?」
 バカバカしくて話にならない。反吐が出そうだ。
「だから、お前一人にしてあちらの揉め事に巻き込まれたらって、母さんは心配でたまらないんだよ」
「……大丈夫だよ。まさか拉致監禁でもされるっての? あの人たちは自分たちの手を悪に染めるほどの覚悟はないよ。俺を担ぎ出して、あわよくば朝比奈の財産を食い潰したいだけだろ」
「縁起でもないことを言うんじゃない!」
 父さんの怒った口調に、俺は口が過ぎたと反省し、今度は父さんの目をまっすぐに見て言った。
「俺もう、流されたくないんだよ。海外生活を始めるのが面倒だってのは本音だけど、いつまでも振り回されたくない」
「ああ……わかっている。だから私もお前の好きなようにさせてやりたいんだ。確かに法的には守られているんだからな。だから、母さんには私からちゃんと話しておく。お前のことは柏崎くんによく頼んでおくから、何かあったらすぐに相談しなさい」
 柏崎さんというのは、父さんの大学の後輩で、俺たちがお世話になった弁護士の先生だ。
「うん。約束する。近いうちに俺からも会いに行ってみるよ」
 父さんはそうだな、と言って俺の肩を軽く叩いた。


 だが、問題はそれで全部解決したわけではなかった。「シアトルに行く」と即答したカオルのことだ。父さんにとっては実の息子だから、最近のあいつの様子に胸を痛めているのは当然だ。
「私は正直言って、カオルもこちらに残りたいって言うんじゃないかと思ってたんだがな」
 父さんは言った。
「俺も……」
「よほど今の学校が嫌なのか?」
 むしろ、嫌なのは俺のことだと思うけど……だが、父さんには現時点では何も言うことができない。
「カオルが一緒に残ってくれれば、安心なんだがな」
「そりゃ、俺も一人よりも二人の方がいいけど」
 何か、言い訳がましいな、と俺は思いながら言った。いったい、誰のための何のための言い訳なんだか。
「あいつが向こうの生活に興味があるってんならそれでいいよ。それにあいつ今、情緒不安定だから、親の側の方がいいかもしれないし、新しい生活が気晴らしになるかもしれないし」
 でも、ちゃんと話をしよう、と俺はこのとき思った。何年か前、部屋を分かれることでケンカして、確かにカオルに相談せずに決めてしまった俺は悪かったと思うから。
「もう一度、あいつの気持ちは確認しとくよ」
 俺は自分に言い聞かせるように言った。
「ああ」
 父さんは少しほっとしたような表情で、俺の頭をくしゃっとかき回す。初めて会った時にも、父さんは俺にそうしたっけ……俺はふと、郷愁に胸を締め付けられる。それは、俺が始めて母さん以外の他者から示された好意だったのだ。


 そしてこの時、 まだ、俺もカオルも気付いてはいなかった。俺たちはある意味、道の曲がり角に来ていたんだってことにーー。


トライアングル5に続く



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