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礼節の国のご挨拶の不思議を地球の裏側から考えてみた。

飛行機の乗務員に、日本人は挨拶を返さないという理由で評判が悪いという話を聞いて、わたしもかもなぁ、気をつけよう。と思った。

気持ちの上では、相手を軽んじている訳でもないし、機嫌が悪い訳でもない。だけれども、やはり Hello とか言っていなかったのは、なぜだったかな?

ブエノスアイレスに住み始めた頃の、最初の習慣ギャップは挨拶だった。
抱擁とキスの挨拶はもちろん慣れなかったけれど、親しくない人にも挨拶をするという習慣も、わたしは持ち合わせていなかった。

こちらでは、パン屋に入るときも、スーパーのレジ係にも、バスの運転手さんにも「こんにちは」を言う。電話での問い合わせの時にも、「こんにちは、お元気? わたし質問があるのですが…。」から始まる。

いまは、これを当たり前に感じるけれど、日本ではやっぱり知らない人、特にサービス提供者には挨拶をしていない。
改めて考えると、どこかのお店に入って挨拶しなくてもいいのは、日本くらいなのかもしれない。

日本の治安の良さや、言語がひとつだとか、空気を読むのがうまいからとか、たぶん一般的な理由の正解はあるのだと思う。

ただ、この仮説のどれもしっくりこなくて、わたしの場合?を考えていたら、茶道を習っていた時の思い出が蘇ってきた。

新社会人の頃通った茶道のお稽古で、茶碗に触らせてもらったのはずっと後で、最初は歩きかた、お辞儀の仕方ばかりをみっちり教え込まれた。
正座して、刀の代わりの扇子を手前に置き、敵意が無いことを示すと同時に、境界線を作り、お相手の領域、場に対する敬意を表す。そしてお辞儀して、頭を下げることで、今度はあなたという人に対して敬意を示す。
厳しいおばあちゃん先生から、所作の全てに、深い意味があるのだから、ひとつひとつを丁寧に行うように、と仕込んでもらった。

わたしは、実生活でもこれをやっていたのかもしれない。
言葉以外の立ち居振る舞いで敬愛の情を示す、ということを。
もちろん茶事の世界にも、丁寧な挨拶文言はあったが、そこは抜け落ちてる。

立ち居振る舞いで心を表すという文化は、美しくて、好きだなぁと思っているのだけれども、それと挨拶を一緒にするのは間違いなのだろう。
日本独自の所作で、その意図を汲み取るのは日本人同士にしか通用しない。
言葉にしなくても分かるよね、は甘えで、相手に対して「態度をみて推し量れ」と要求していることになってしまう。

外から見ると、どうみても手抜き挨拶でしかないな、これ。

心を入れ替えて、改めて言葉を発する挨拶も大事にしよう。

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