見出し画像

残念すぎた昔の『ラポール信仰』と今

『ラポール』とはそもそもは、臨床心理学の用語で、セラピストとクライエントとの間の心的状態を表すのだそうだが、わたしにとってはビジネス用語のイメージが強い。東京で仕事をしていた時期に、ビジネスノウハウ本を読み過ぎたせいだろう。

取引先の人たちやリサーチ被験者と、友好な関係を築いて仕事をスムーズに進める為に、服装から仕草まで一生懸命気遣ったものだ。そのくらい人が苦手だったし、上手くいかなかったらどうしようといつも思っていた。今考えると、相手と同じものを口にするとか、同じ動作を真似る、などのノウハウに真剣に取り組んでいた自分が、真面目すぎてウケる。

画像1

さて、セラピストとクライアントの間には、もちろんラポールが必要だ。デリケートな身体や心の問題を取り扱うのだから、心を開いてもらわないことにはリラックスしてもらえないし、本音も聞けない。

しかし、今のわたしの立ち位置は以前よりずっと楽だ。

アルゼンチン人は、元来、人と人との距離感が近く人懐っこい。初対面の瞬間からとてもフレンドリーだし、初めての場所にも、ドギマギしている人はほとんどいない。さらに、日本発祥のレイキヒーリングを日本人が施術するというだけで、ある意味つかみはオッケー的な感じはある。

わたしの方にも、昔の仕事と違ってビクビク感がない。もちろん、クライエントを迎えるための充分な準備は怠らないが、あとは彼らが望み、必要とする癒しが起こるのをサポートするだけだという確信がある。スピリチュアル的な考え方では、全てのことは起こるべくして起こるので、セラピストが気張る事ではないのだ。

またヒーリングは、全てはひとつというワンネスの考えのもと、潜在意識の領域では、はじめから繋がっているという前提で行っていく。だからその状態を思い出すための環境づくりというのが、ラポールと言えばラポールだ。

信頼関係を築けないかもしれないという前提で、全くの他人と、ゼロから心の繋がりを構築しようともがいていた頃の、ビジネス的ラポールの考え方とは根本の所から違っている。

あの頃、相手の心をこじ開ける事を無理矢理がんばる必要はなかったなぁ。むしろ自分が緊張し過ぎだったね。「大丈夫、繋がれるよ。」と昔の自分に教えてあげたい。


この記事が参加している募集

読んでくださり、ありがとうございます。 サポートのお気持ちとても嬉しいです。ありがたく受け取らせていただきます。感謝💕